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私は趣味で小説を書きます。

数年前に長編を書いて大きなコンテストに応募して
第一次、第二次審査は通ったのですが、最終選考を
前に落選してしまいました。

初めての長編小説執筆で、大賞に選ばれなかったのは
もちろん悔しいですが、審査に残った作品として名前が
雑誌に載った時には社会的に認められた気がしました。

その時、気づきました。

私は、自分の作品を世に認めてもらいたいのだと。

いや、自分の文才を世に問いたかったのかもしれません。

それ以来、小説は書けないのですが、
「ボルさん、最近は小説書いている?」
と聞かれるとバツが悪そうに、

「いや、構成が思い浮かばなくて」「子供の世話があるから」

などと言い訳をしています。

他の小説を書いている人、特にプロの小説家というのは
どうやって作品を作り続けているのでしょうか?

ある作家のインタビューが印象的でした。

「どうしても書かないといられない衝動に駆られている。
手足を縛られてもどうしても小説を作らなければ生きて
いけないというほどの情動が…」

そんな書きたいと思うアイディアや想いが羨ましく感じました。

残念ながら私にはそのような情動は4年に一度くらいしかありません。

「小説家になるには作品を生み出さなければならないし、
それにはアイディアの多さや情動の強さが必要なのだ」
という思い込みが私にはどうやらあるようです。

小説家など『何かになる』とか、作品を完成させるという『何かをする』
ということにこだわりたい自分はもういないので、好きな時に好きなだけ
文章を書いていくことが幸せなことだと感じています。

ブログを書くにしても書く内容や量、頻度を気にし始めると
書けなくなることがわかっているので、書きたい時に書けるだけ
キーボードに手を置いたその手に任せています。

ブログを書いている途中で急にある友人を思い出し、
久しぶりにメールをしてみました。

返信を読んでビックリしました。私がその友人から
欲しかった言葉がそのまま書いてあったのです。
(引き寄せたかのように)

強い衝動に駆られて書いたわけではなかったのですが、ほのかに
書きたいと思わせる何かがあったので書いてみたのでした。

ちょっと前ですと、「まぁいいか。迷惑になるといけないし」
などと自己完結させていたのですから不思議です。

自己完結は『本来の自分』からのメッセージをシャットアウト
してしまう行為なのではないかと思う時があります。

先々のことや相手の気持ちを考えすぎることで直観に従えなくなる、
ということは、自分のエゴに従うということなのだと思います。

自分が迷惑をかけてしまう(もしくは他人が迷惑をかけてくる)と
心配しているうちは、まだ自分の経験が自分に起こるのはどうしてか、
ということを理解していない、と引き寄せの法則では教えています。

今日からでも自分が欲することだけを考え始めれば、自分が欲すること
だけが引き寄せられてくる…これが引き寄せの法則です。

迷惑をかける、かけたくないという言葉の刷り込みは日本人に深いものです。

迷惑とは何なのでしょうか?

迷惑とは相手がいるから成り立つことであって、その相手を慮っているつもりが、
いつの間にか自分基準で相手の迷惑を推し量り、自分都合で自分に厳しくしている。

迷惑をかけたくないのは『相手を傷つけたくない』というのは名目で、

実は

『自分が傷つきたくない』という強い自意識の表れのような気がします。

自分が可愛いという自己愛が強いから自意識が過剰になるのであって、
自分が他者と違う、I am supecialと思って孤立しているから迷惑と
いう現象にずっととらわれたままでいるのだと思うのです。

引き寄せの法則的にも「迷惑をかけたらいけない」という思考は、すでに
迷惑が存在することを前提としていて、迷惑をかけている自分を想像できて
しまっているとしたら、その思考に沿って現実が訪れることになるわけです
から注意が必要なのだと思います。

繰り返しとなりますが、
自分が孤立した世界にいると感じているから迷惑という概念が生まれるのでしょう。

すべて自分の世界の中ならば、相手も自分の一部と考えることができたら…。

そう、例えばママごとをしている世界内では迷惑など存在しないですものね。

真面目過ぎる人は特に「迷惑をかける」という思考がでてきたら、無視したり
「迷惑は妄想」「お互い迷惑をかけあっている存在だからこそ…」
などに言い直すのも良いかもしれませんね。


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