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先日、山手線車内で、久しぶりの光景に出合いました。

優先席に座っている若い女性に向かっておじいさんが、
「ここは、優先席だろうが!何でお前のような若者が座っているんだ!」
と大声で怒鳴り始めたのです。

女性でしたので、妊婦の可能性もあっただろうに、
おじいさんの剣幕に一目散で逃げていきました。

おじいさんの怒りは収まらず、隣に座っていた老婦人に
「最近の若者は・・・」と大声で話しているのです。

「まったく、みっともない」

(車内で大声を出して一人で怒っているおじいさんも・・・)と
ツッコミたくなりました。

一時期から日本では「キレる老人、暴走老人」と東洋経済という雑誌で
特集が組まれるほど、社会問題になっています。

私は若い頃、思い違いをしていました。

『年を重ねれば重ねるほど、思慮分別ができ、熟慮や忍耐の末、
行動に移す人が増えるのではないか』という思い込みです。

実際は、
『老い先が短くなると、短気になり自分の思い通りにしたくなる』
という現実もあるのですよね。

私は前の職業柄、高齢者の方に
「年を取ると寛容になりますか?短気になりますか?その度合いはどうですか?」
と失礼のない様に聞いています。

すると、圧倒的に(ある分野に関しては)短気になると答えた方が多かったのです。

『ある分野(事柄)に関して』

ここに短気になる要素が隠されていました。

それらを端的に書きますと、
「自分がないがしろにされる」「ぞんざいな態度をとられる」など
自分という存在を軽んじられる言動に対して短気になりやすいのです。

自分の存在を『正義』や『常識』『秩序』などで高めて対抗しようと
した結果が、キレる・暴力にまで発展してしまうのです。

乱暴な捉え方をすれば、「扱い」や「言い方」さえ間違わなければ
キレることや暴走することもないのかもしれません。

先日は、席を譲った若者に対して、
「わたしは、席を譲られるほど老いていないわ!」
と怒鳴っている老人がいました。

この場合、扱い方を間違えたのでキレてしまったのでしょうか?

どの視点からどのように行動したら良いのか若い人は
空気を読むよう問われているように感じます。

言い返したという若い人の記事を読んだことがあります。

「こんな休日でも私は仕事で電車に乗っているのに、
遊びに行くあなたに席を譲らなければならないのですか?
私たちの年代はもう年金なんてもらえないかもしれません。
今遊んでいるあなたたちの年金のために働いているのに
それでも私はあなたに席を譲らないといけないのですか?」

この問題は『年金』という国の仕組みの一部が関わって
いるから視点や問題が複雑になっています。

こうなってしまうと、席を譲る、譲られるという行為だけで
もの凄く気を遣ってしまうストレス社会になっていることが
見え隠れしているように思います。

このような社会を今老人となっている人が作ってきたとも
言えるわけで「今の若い者は」や「今の年寄りは」という
よりも「お互い様でしょ」という捉え方もできます。

今回私は、怒ってくれる大人は貴重だと思いながらも、
ただ権利や正義を振りかざす大人は尊敬できないと思い
不愉快に感じる瞬間がありました。

一方で、どのように年を重ねていくか、自分が高齢者に
なったらどうなりたいかを気づかせてくれたありがたい
出来事だとも感じました。


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