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ウィニペグ時間で本日2月3日は私の誕生日でして、厄年は特に何もなく
むしろ良いことしか思い浮かばず、43歳を迎えることができました。

2月3日は妻も仕事がなく、娘のキンダガーテンはコーディネートデー
という訳のわからない日で休日となっていたので、家族と一日中一緒に
過ごしたいため、ついでに私もカレッジを休んでしまいました。
(テストがない金曜日も珍しかったので)

2日前から先生に「個人的な理由で明後日休ませてもらいます」と
伝えておいたため、完全なさぼりではないのですが、真面目な私が
学校をさぼるなんて図々しくなったものです。

「年をとるほうが人生が生きやすく楽しくなる」

なぜなら図々しくなれるから。(これは私の実感です)

自意識が強くプライドが高かった私の若い時の性格は
いつしか自分を苦しめるばかりで「図々しくできたらな~」と憧れが
出てきてからは「それって本当に大切か?」「認められたいだけなの?」
と自分に問うことで、段々図々しく生きられるようになった気がします。

例えるなら、海外旅行をして「日本人として正しく行動しなければ」
と自分よりも日本人であることやステータスを気にするような人
(かつての私)と、全く逆に、海外でもわが家のごとくどこでも
自分のペースで「ええねん、ええねん」と過ごせる人との違いは
どこにあるのかを考え始めてから、自分がどうなりたいかを深く
考えるようになったのだと思います。

図々しくなること。

父親は私に「もっと恥をかきなさい」と教えてくれました。

その意味が身にしみてわかったのは社会人になってからだと思います。

図々しくなるというは、ふてぶてしくなるのではなく、

・自分のやりたいことに忠実になりながらも責任や覚悟を自覚する。

・時に自ら進んでバカになり、完璧を求めず、まいっか!とこだわらない。

・聞くは一時の恥に代表されるように、恥をかいたほうが得になる。

などが私の解釈として挙げられます。

また、よくある表現として『自然体で』とか『身の丈を受け入れる』
という言葉が「恥をかくこと、図々しくなること」に繋がっていく
ような気がしています。

レッドリバーカレッジの授業風景をみても、
毎回同じ生徒が授業に積極的に参加して、
「これって、こういうことでしょ?」
「私の国ではこの場合・・・」と、
日本の『先生から生徒という一方的な授業風景』ではない
声が大きい(=自信満々や図々しい人等)生徒が時にジョーク
を交えながら双方向に授業を成り立たせていってしまうのです。

発言時に単語や文法を大胆に間違えながらも恥と思わず、ガンガンと
発言している彼らをみるとそのパワーやうらやましいほどの図々しさ、
そして自然体の彼ららしさが英語を誰よりも成長させているという
状況を目の当たりにしていると、恥をかくのを恐れて発言していない
自分が小さく感じてくる時があります。

図々しい人は得をしていると思いませんか?

このカナダにおいて何度も
「言った者勝ちだな」
という風景を良くみます。

一回目の手続きでダメだったのにもかかわらず、ダメ元で
図々しくも2回目に同じことを他のスタッフに聞いたら、
大丈夫だったなんてことが実際にあり得るのです。

今日、私は誕生日だったため、授業をさぼりました。

このことは誰からも責められません。

英語を勉強しなかった時間やお金を無駄にしていること
もわかっていながら、それらの責任や覚悟を自覚したうえで、
何が今自分にとって大切か?自分の直感や感情を無視したまま
良い子ちゃんでいることがどれほど価値があるのか?

考えた結果、休むことになったのです。

さらに生きやすく生きるための一歩となった43歳の誕生日。

何だか良い年になりそうです。

あなたにとっても素敵な節分後となりますように。

これからも宜しくお願いします。

それでは、また。

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