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大雪注意報が出ていたにも関わらずほとんど積もりませんでした。
天気予報が当たらないというのもウィニペグの悪いところです(笑)

ウィニペグは70万人都市でして、日本の70万都市ですと岡山市、
静岡市、熊本市、相模原市、練馬区、大田区などが挙げられます。

どのくらいの都市になると浮浪者が何パーセント生まれるので
しょうか?社会学的に統計などがあるのかもしれませんが
残念ながら調べてもわかりませんでした。

あなたの住んでいる都市にも『物乞い』をする人はいますか?

ホームレスとは違い、物乞いをする人(=beggar)です。
(もしくはpanhandlersともいうそうです)

ウィニペグでは「家がない=寒さで死ぬかも」という環境ですので、
ホームレスというよりも物乞いをする人が多いようにも思います。

他にもどうして「ホームレス=物乞い」とならないのかと言いますと、
家はあるのに物乞いという行為をする人がこちらでは多いからです。

日本で、ホームレスは物乞いという行為をしていますか?
(「恵んでくれー」という能動的行為を日本では見かけないような…)

ある時、車を運転していると、中央分離帯を歩く男性がいました。

手には「職を失ったので恵んでくれ」という手書きのプラカード
を持って、信号待ちの車にアピールしていくのです。

またある時には、若い男性があまりに小奇麗な格好をして物乞い
をしていて、その若い男性に対して他の中年物乞いがテリトリー
を主張し、喧嘩になってしまったのを目撃したことがあります。
(嫉妬もあったのかもしれませんね)

ウィニペグでは物乞いと出くわす確率が結構高いです。

あなたはお金を渡しますか?

物乞いにお金を渡すか渡さないかは議論の対象になり得ます。

渡してもお酒かドラッグ購入に使われるとしたら?

いや、そのお金で一日を生きながらえるとしたら?

前の記事(ボランティアと自己満足について)でも書きましたが、
お金を渡すという行為は「相手のことを自分の尺度で慮る」
ことからボタンの掛け違いのような思い違いが生まれていく
のだと思います。

「どうせ浪費されるんだろう」

「きっと、苦しんでいるに違いない」

どっちも相手ありきの思考で、相手の現状が気になり、
相手のためになりたいという期待も内包されています。

渡した効果や渡さなかったその後など、ほぼ確かめようがないの
ですから、自分で意味付けして納得するしかないと思うのです。

ここで、
ちょっと大げさなたとえ話をしますが、たまに「究極の選択」
的な話しとして以下のようなシチュエーションがあります。

「流れが急な川に自分の伴侶と子どもが落ちて流されようとしています。
あなたはどちらを助けますか?」という問い。

心理ゲームや話のネタ的には面白いかもしれませんが、
よくよく考えると実にくだらないと思ってしまうのです。

どちらも助けたいという前提、流され始めているという前提
を鑑みると(その状況にならないと実際にはわからないわけ
ですが)一つ現実的に想像できることは、

「手を伸ばしてすぐ助けられるほうから助けるだろう」

というとっさの反応、判断。

まさにそこで起きていることですから、
「どうせ助からないだろう」
「きっとこっちのほうが苦しいに違いない」
などという思考や感情は入り込みづらいのです。

物乞いを受けた時も似たようなもので、その時のシチュエーション
において、手を差し伸べられる人が、差し伸べられる時に
差し伸べられる範囲で差し伸べたらよい
のだと思います。

気分に従ってどうするか決めても構わないとさえ思えます。

「お金は絶対に渡さない」と自分のルールを決めたほうが、
楽になる場合もありますが、のちのち自分の心が楽になる
ほうを選んだほうが良いように思うのです。

ダウンタウン内の多くのバスルートが通るバス停
(例えばウィニペグスクエア)ではよく物乞いがいます。

目が合って、合い続ける時間がわずかに長くなると
その隙をついて気軽に話しかけてくるのです。

「バス代を恵んでくれないか?」

「職がないけど、今は職より食が欲しいんだ(←意訳)」

こてこての台詞を言ってくる物乞いがいます。

このような人たちに私はお金を渡していません。

ウィニペガーならご存知だと思うのですが、もっと
ストーリーを作り込んだ物乞いがいます。

「あなた、保険に入っている?」

何のインシュランスのことかわかりませんが、
気をひこうとしているのはわかります。

「車の保険を払ったらお金がなくなっちゃって・・・」
「保険が降りるまで生活が大変よ」などなど
人に応じてアドリブを楽しむおばさんの物乞いがいました。

ある若い男性beggar(物乞い)は、

「How are you? me? 僕ね、最近眠れなくってね」

気軽に世間話的に話し始めるのです。

「不眠症なんだよ、不眠症って聞いたことあるだろう?」

この若者は身なりも普通で電子タバコをふかしています。
とても物乞いには見えないのにこう聞いてくるのでした。

「なんかさ、パンチの利いた炭酸飲料が飲みたいんだよね、
コインを何枚かくれると買いに行けると思う」だって(笑)

この紆余曲折が嫌いじゃない。

「おお、頑張っているな~。営業トークを磨いているよ」

そんな感じで私自身が楽しめてしまったのだったら、
エンターテイメントに対しておひねりを渡す感じで
コインを渡すことにしています。

どのみち渡すという行為は自己満足なのですから、楽しく
自己満足させてもらえるものに渡したい。そのほうが、
気分で渡したことに対する意味付けがしやすいですからね。

繰り返しますが、気分や感情論にしないため自分で
ルール付け(一切渡さないなど)をしてしまうのも
良い方法です。そのことをわかっていながら、どこかで
楽しみやポジティブを期待してしまうのだと思います。

この寄付やチップを渡す、渡さないの問題は社会学的な
側面ももちろん必要ですが、極めて個人的な性質・反応
(その時、渡したかったから渡した等)が根底にあって
誰からも責められるべきものではないと思いたいです。

それは、川で溺れかけている子どもを先に助けるべきか
伴侶を助けるべきかというような訳のわからない究極の選択を
迫られるべきではない(助けられるほうから助けるだろう!)
ということにも通底していると思うのです。

その時の感情、気分、状況、そして反応してしまった
自分に罪悪感など持たずに、とっさの自分を
信じることが大切なのではないでしょうか?

海外移住、海外移民とは(英語で話しかけられた時にも試される)
この「とっさ(観)」を鍛えてくれているような気がしています。

そう考えると、物乞いの人たちは「困ったチャン」ではなく、
ありがたい人たちなのかもしれませんね。Winnibeggar万歳!

まだ、困ったチャンシリーズは続きます。お楽しみに!

それでは、また。

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