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レッドリバーカレッジのカリナリーコースのパン・焼き菓子
クラスはテストも無事にパスして、次のショートオーダー
クラスが28日からはじまります。朝7時半からですので、
さらに早起きをしなければなりません。

年をとったからか最近、おじいさんのように早寝早起きに
なってきているから問題ないのですが・・・(笑)

年をとるという実感は肉体的な面もさることながら、
精神的な面でどのように年をとりたいかを考える
時が最近ありました。

ベーキングクラスの最終日に、皆でキッチンの大掃除をしていると、

「おい、ボルさん。何やっているんだい?」

と尋ねてきた同じ40歳台のクラスメートは、見た目も
私より若く、精神的にガツガツしているように感じます。

「何やっているって掃除だよ」

「それはあんたの仕事じゃないだろう?あいつらが
担当しているはずじゃないか?」

「そうだよ、彼らは一通りやっていたけど中途半端に
終わらせたまま、あそこで遊んでしまっているね」

「あいつらに任せておけばいいんだよ」

「え?本当にそう思う?任せて時間内にきれいになると思っているの?」

「やらないで怒られるのはやつらだから放っておけばいいのに」

「そうかな~。終わらないで困るのはみんなだと思うよ」

「なんでボルさんがやる必要があるの?」

「なんでって、僕は自分の役割が終わって暇だから・・・」

私がやってしまうと「彼らが調子に乗る、彼らのためにならない」
など彼なりの正論がそこに存在しています。

私はあらかじめ彼らに直接、
「このスパイスラック(調味料棚)の調味料を全部取り出して
このままにしておいていいの?」と尋ねていました。

「だって、シェフが取り出してそこに置いたんだもん」

どうやらインストラクターであるシェフがそのままにしたから
もう自分の手を離れたと思っているようです。

調味料を取り出してあった棚をみたら調味料(特に油)で
汚れていたので私が拭いていたのですが、その時に先述の
クラスメートに「何をやっているんだ」と聞かれたという訳です。

その棚を担当していた彼らに私が、
「ほら、ここ汚れているから拭いておこうね。拭いたら調味料を
棚に戻しておこうね」というのが必要だったかどうか・・・。

あなたでしたらどのように対処しますか?

基本的に私は、できる人ができる時にできるだけすればよいという
信条があるため、暇だった私がすることにしたのでした。

それに学生生活という若い人にとっては生活の第一線で楽しめる
場であり時期なのだから、彼らは好きに過ごして私は裏方に回る
くらいでちょうどよいという思いもあります。

これは私たち夫婦に子どもができて「もう自分軸では世界がまわって
いないんだ(これからは子ども中心の世界になるな)」という実感が
裏方・サポーター的な役割を良しと思うようになってきているのだと
感じています。

つまり、私がガツガツとすべてやってしまう、一方で全くやらないと
いうのではなく、やってないことがあって、やっておくのが必要かな~
と思ったことはサポートしていくという姿勢になっていることが
私にとって精神的に『年をとった』という意味になっているのです。

もちろん今回の場合も個人差、お国柄など複合的な要素が絡まってくる
かとは思いますが、目くじらを立てるかのように、
「あれはあいつらの仕事」「なんで私たちが」などと
考えるのも面倒くさいし、直接注意するのも面倒くさい(笑)

この相手との衝突やマイナス面を持ち続けることの
『面倒くさい』を避け、手放したがるのも年をとってきた
証拠なのだと思います。

でも、面倒くさかったら自分からスパイスラックを
掃除しようとまで思うでしょうか?

そこにはやはり、
「自分がこのキッチンにはお世話になっている」
という感謝の気持ちと、
「暇な時間をもっと楽しみたい」
という若さがあったのかもしれません。

なぜなら、その同年代のクラスメートに
「何をやっているんだ、それはお前の仕事か?」
と言われた時に、ムッとしたんですよ。

思わず、

「You are young.(若いな、あんたは)」

返す言葉でつぶやきました。

「What?(何だと?)」

「言っている意味がわからないのかい?」

私は穏やかに以下のような説明をしていました。

まず、これは仕事ではない。(無給むしろ授業料を払っている)

つぎに、誰の仕事かをわかっているんだったら
なぜ、君が直接彼らに注意しないで私に聞くんだ?

私はこの仕事をやらされているわけでもなく、
彼らのためにしているわけでもなく、ましてや
先生や君に褒められたくてしているわけではない。

そう、
私は私がやりたいことをしているだけなのに、
他の判断要素で私の行動をつまらないものに
しようとするのはやめてくれ・・・。

キッチンサニタイズ、フードセイフティー、など
衛生面を勉強してきた私たちのクラスだからこそ、
誰かがきれいにしておく必要があるという正論も
付け加え、彼が持つ別の正論と対峙したのは
我ながら若かったと思います(笑)

色々なことを気づかせてくれた彼にも感謝です。

今日も、子ども達がベースメントにおもちゃを散らかしたまま
片づけていません。

「片付けなさい」と何度言ってもダメ。

「捨てちゃってもいいの」と脅しても、
「よく片付けられたね」と褒めても、
次の日には、きれいだった部屋も腐海に侵食
されていくかのように汚れていきます。

レゴはこの箱へ、ぬいぐるみやままごとグッズは
この場所でと、システマチックな掃除方法を示すことで
そう、親が片づけているのを見せることで片づけて
くれることを期待するのですが、まぁ無理ですわ(笑)

でも、日常はまわっていく。

まわしていく、まわっている日常をどうしていきたいか
は自分で決めることができる。

日常はそう、自分の観方(意識・思考)、自分の味方
(すべての人が味方)、自分の身形(肉体や健康)で
決まっていくように思います。

年を重ねるたびに、それらが最適化されていくような気がするのです。

これからも子ども達には、皆様のおかげで私自身が自分の人生を楽しめている姿
を見せていけたらと思っています。

それでは、また。

※備忘録(前回の投稿から今回までの支出)
【合計118.75ドル】

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