子ども、子育ての試練をどうとらえるか思案中。
昨日は3歳になる息子を引っぱたいてしまった。
5歳の娘を弟である息子が引っぱたいたので、
姉ちゃんの代わりに引っぱたいてしまった。
「ほら、こんなに痛いんだよ」
と、教えたかったというのは後付けの言い訳で
あって、怒りに任せた児童虐待である。
以前、お風呂でおしっこをされた時にも
引っ叩いてしまったので、ここ3年間で
2度引っ叩いてしまったことになる。
引っ叩いてしまってからものすごく落ち込む。
だったら引っ叩かなければいいのにという
のはわかっているのだけれど、その時には
その方法しかできなかったのだと思う。
なぜ怒ったのか。
それは、子どもにわかってもらいたいから。
親の都合といわれようともわかってもらう
ためのその時の手段が怒りと引っ叩きだった
としか言えない。
本来、怒ること、引っ叩くことを望んでいない
のに感情的になって引っ叩いてしまったという
ことはどういうことだろう。
子どもを怒らない自分の人生を想像し、怒らない
と思考を定めたら、そのように引き寄せの法則
が働くのであろうか?
昨日のことで感じた怒りや不愉快を感じ切り、
自分の成長へとつなげるパワーと変え、
これらのことが昇華されることを想像して
いきたいと思う。
子どもには悪いことをしたと深く反省する一方
このような試練や考える機会を与えてくれて
感謝しかない。
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