『ニューアース』を読んで その2
20代の頃、仕事でアメリカに駐在していた時、
知り合いになった人や会社の先輩などから、
「ボルさんの『夢』ってなんですか?」
「夢があるからアメリカにいるんですよね?」
というようなことを言われてげんなりした経験があります。
「夢は家族が幸せに暮らせることかな~」
と、まだ子供も妻も、ましてや彼女もいない状態でしたが
このように応えていました。
「ほんまか?もっと欲望に忠実になりませなあかん。
女をたくさん抱きたいとか、お金持ちになりたいとか
あるんちゃう?男やったら大きな夢を持ってやな…」
「夢を持たないといけないんですか?」
酔っぱらっていたのもありますが、先輩に食って掛かりました。
今でもそうなのですが『(社会的成功を意味する)夢』という
ものに不快感を感じてしまいます。
この不快感は最近まで「夢を持てない劣等感」だと思っていました。
何か偉大な成功者にならなければ、何か立派なことをしなければ、
同時に、お金や名声を得ること、不動産などの資産を持つことを
社会が迫ってきているように感じる時があったのです。
大いに悩んで「何かになって、何かを持とう」という方向で
ビジネスを始めたのですが、うまくいきませんでした。
何かになれて、ある程度持てたのですが、自分と向き合うと
それらがいかに自分に向いていないかが分かったのです。
その時、コーチングを受けて数多く言われたことのうちで
一番、自分に必要となった言葉は、
「『何をする・何になる』じゃなくて、『どうしていく』でしょ」
というもの。
今回、『ニューアース』(エックハルト・トール著)を読んで
「人生の目的は「何をするか」ではなく「何者であるか」」
「目覚めた行動とは、外部的な目的(何をするか)と内なる目的(目覚めて目覚めたままでいること)とが調和した行動である。何をするかではなくどのようにするかで、あなたが運命をまっとうしているかどうかが決まる。そしてどのようにするかを決めるのはあなたの意識の状態だ。行動の主な目的が行動そのものになるとき、というか行動に流れ込む意識そのものになるとき、優先順位が逆転する。意識の流れが行動の質を決める。真の成功と言える行動は条件づけられた無意識の思考であるエゴからではなく、研ぎ澄まされた観察と関心の場から生まれる」
という部分が琴線に触れたのでした。
「doingやhavingではなく、beingに集中しなさい。
そうすることで、「どうしていくか」が開けるから」
と言われているように感じたのです。
社会的成功とはとかくdoingやhaving(地位や夢の達成)
がもてはやされますが、being(ただそこに在ること)で
一瞬一瞬どのようにしていくかで運命が決まり、
エゴからの思考や行動ではなく、何者であるかに目覚め、
今、自分の人生を意識的に生きることが真の成功に
つながっていくとニューアースから読めるのです。
果たしてそこに「夢」が必要でしょうか?
「エゴから生まれる夢」なんて信じていいのでしょうか?
私の夢アレルギーや夢への劣等感は
今ではもうどうでもよくなっています。
しかし、もし今後「夢は何ですか?」と聞かれたら
こう応えようと思っています。
「本来の自分を思い出し、無限の豊かさを享受できている」
実際は、もう夢ではなくなっていて、そうあることに決めて
いるため、あとはbeingのままでいいということなんですけどね。