『嫌われる勇気』という本を読んでカナダ移住と絡めて考えてみました。
今日の最低気温マイナス23度を最後に冬の終わりを週間天気予報を見て期待してしまいます。
最近、風邪が流行っているようで、我が家でも輪番制のように風邪をひいておりますが皆様に至りましてはいかがお過ごしでしょうか?
私は先週金曜日に仕事を終えてから月曜日の祝日まで風邪で寝込んでしまいました。何だかもったいない気分になりましたが、ずっと読みたかった本『嫌われる勇気』を読了できました。
著者の岸見一郎氏の『アドラー心理学入門』は10年以上前から愛読していて、私が日本からカナダに持ってきた厳選3冊の本の中の一冊です。何度も読んでいるため、すでにボロボロになっています。
前から好きだっただけに『嫌われる勇気』が古賀史健氏との共著によって大ベストセラーになった時は、昔から好きだったアイドルが人気が出てきてしまってさらに雲の上の存在になってしまったような感じがして、ちょっと寂しくなってしまったような気持ちがしていたものです(笑)。
先々週の土曜日に子ども達が通う日本語教室にて、ママ友さんに『嫌われる勇気』借りることができたためようやく読むことができたのでした。ありがたいです。
私はアドラー心理学が好きというより「こんな理想論、あるのかいな?」という感想から始まって、疑問がいろいろと湧いてきて、自問自答を繰り返したり、他の文献を調べたりするうちにアドラー心理学というより、哲学者としての岸見一郎氏の思想が好きなんだと思うようになりました。
そして今回、この本を読んだことで新たな発見や納得が出てきて、自分なりにどうやったらこの思想を伝えることができるかということを考えた結果、このブログの目玉でもある【カナダ移住における心理】と絡めて読書感想を書いてみたいと思ったのでした。長くなりますがお付き合いください。
たまにこのブログを通じてカナダ移住の相談を受けることがあります。
「どうしたらこんな私でもカナダに移住できるでしょうか?」
「お金を貯めて、英会話ができるようになったらカナダに移住するつもりです」
人それぞれ条件が違ったり、悩みも違ったりするわけです。
アドラー語録を使って順次説明していきますが、まずは
「大切なのは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかである」と言っています。
あれがなければ、これがあるからカナダに行けないではなく、いまある自分や現状を客観視し(文中では「自己受容し」)あれがあってこれがあるからこれらでどうやっていこうか、ないもの欲しさはやめて、あるものでどう勝負していこうかを考えてみようと提唱しているようにとらえることができます。
特に英語の能力の問題。
確かに高いに越したことはないですが、どのレベルになったらカナダに行ったほうが良いと誰がどのように判断するのか。さらに、英語が話せないと相手に迷惑がかかるのではないかと心配になると余計カナダに行きづらくなっていきます。
アドラーは【課題の分離】という言葉を使っていました。他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させないとすることが人間関係で重要だと言っています。
実際にカナダ人と話す際には、話しかける相手が迷惑か迷惑じゃないかは相手の課題であって、自分の課題はその時、英語を伝えることの方が優先な課題になっています。
伝わらないことで嫌われるのではないか、伝えられないことで自己嫌悪に陥るのではないか。
私も悩まされました。周りの人たちにおいては、焦燥感、孤独感が強くなり移住をあきらめてしまうなんてことがあったのです。
「自意識過剰で自分が傷つくことを恐れすぎているから自分が嫌いになり、他人が敵に見えてくる」と本書を読むと気付かされます。
そうならないためにも『行動面の目標として①自立すること ②社会と調和して暮らせること。心理面の目標として①私には能力があるという意識 ②人々は私の仲間であるという意識』を持つことの重要さを説いています。
留学や移住を目指す際にも以上4つの目標を意識すると良いかもしれませんね。
それでもなおカナダ移住を思いながら、行けない・行かない人はいます。
アドラーが言うことには、
「人は、いろいろと不満があったとしても「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです」
「過去の原因を意味付けして、未来の不安を理由にして今は変わらないと決心している」と、つまりカナダに行かない目的を自己培養しているから行けない・行かないのだということになるのだそうです。
どうしても行けない理由。
それは健康の問題、ビザなどの法的な問題、お金や家庭環境の問題などは確かにあるかと思いますが、そもそもそこに問題があったら行きたいという想いはなかなか持ち続けられません。実際に、行けそう、行きたいけど行けない(背中を押して欲しい)から悩み続ける人たちが相談してきてくれているように思います。
そんな悩める人たちに私はどのように相談の答えを返信すればよいでしょうか?
アドラーが一刀両断するような答えを持っていました。
「(英語の)能力の有無ではなく、課題に立ち向かう勇気がくじかれていることが問題なのである」
多くの悩める人たちが移住したくてもできないのは、英語の能力の問題じゃなかったのです。
そう、勇気があるかないかの問題だったのです。
私が尊敬する会社(ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツ)の社長、高萩徳宗氏は高齢者や障がい者のかたでも楽しめる旅行を提供しています。以前、セミナーで、あるお客様からのお問い合わせについて話してくれました。
旅行について聞きたい、できれば海外に行きたいと思っているそのおばあちゃんは、行くに当たって10個の不安を話し始めたのでした。
その不安について一つ一つ向き合って解決の形にしていくと、さらに10個。それを駆逐しても「でもね~私は…」と不安と行けない理由、21個目が出てくるのでした。
「行くか行かないかどっちにします?」
「行きたいけどね~ほら、私は持病があるでしょ?」(その持病の話は医療関係者を同行させるからと安心したはずなのに……)
話はエンドレスに。
そのおばあちゃんは結局旅行に申し込まなかったそうです。
持病の問題でも、21個の不安や意味づけされた理由ではなく、その時は勇気が足りなかったからではないでしょうか?(あるいは、こんな自分でも旅行会社に受け入れられるか試したかっただけなのかもしれません)
ちなみにアドラーは「受け入れられたい・認められたい」という承認欲求に対して注意を促しています。
「わたしたちは他者の期待を満たすために生きているのではない。他者もまたあなたの期待を満たすために生きているのではない」と、自分の人生を生きることの重要さを語り、同時に「他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられること」を共同体感覚として持つことの重要さも伝えています。
カナダという国・カナダ人から認められたいと思い過ぎるとカナダ移住が辛くなるように思います。
意外と楽観的に、カナダ人を勝手に仲間だと思い、カナダをすでに自分の居場所だくらいに思っているほうが移住に成功するように思うのです。
また、本書では、
「他者(ここではカナダ)がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者(カナダ)になにができるかを考えて実践していく」と書いてあるように、カナダに貢献する実感を得られればカナダ移住成功に近づくという解釈ができそうです。
【自己受容、他者信頼、他者貢献】
という三つのキーワードが本書の後半で語られていました。
例えば現在の英語の能力をIELTS(アイエルツ)やCelpip(セルピップ)のテストを受けることでスコアがでますから、良きも悪きも自己受容をし、自分の英語は相手に通じると自分の能力を信じ、カナダ人は仲間だと信じ話しかけ、カナダに貢献するよう行動していく。
あとは自分をどれだけ信じることができて、勇気が持てるか……。
さて、どうやったらその勇気が持てるのでしょうか?
本書では以下のように書かれていました。
「人は自分に価値があると思えた時に勇気がもてる」
価値があると実感するためには、本文中の【課題の分離】や【自己受容、他者信頼、他者貢献】という考え方が役立っていき、自分の身の丈や相手との距離感、そして、いまここでやることが見えてくるのだとか。
言うは易き行うは難しだとは思いますが、どうしたら自分の勇気がくじかれている状況を脱せられるだろうかという視点でカナダ移住を具体的に考えてみると、次のステップが見えてくるかもしれませんね。
勇気が持てなくても、私のようにカナダに渡航する日を決めちゃってチケットを取ってしまうことで退路を失くすとか、他にも例えば、移住費用数百万円貯めたという自信、あるいはIELTSの目標スコア6や6.5、会社のボーナスをもらって退職してから、健康診断を終えてからなどのキッカケを自分で作っても良いかと思います。
もし、今現在、カナダに移住したいけど勇気がくじかれているかたがいましたらぜひご連絡ください。こちら
メールにて勇気づけができればと思っています。(←この本を読んで「さらなる居心地の良さを求める人への援助、勇気づけこそ私のライフワークなんだ」と改めて実感した次第です)
それでは、また。