マニトバ州もサマータイム制度なくならないかな?一時間時計の針を動かす度に考えること。
2026年3月8日(日)の午前2時からカナダ・マニトバ州はサマータイムに入るため、時計の針を一時間進めなければなりません。(スマホなどの設定では午前2時になったら自動的に午前3時に変わってくれる)
ブリティッシュコロンビア州では明日の3月8日のサマータイム変更を機にもうずっとサマータイムのままにするらしく11月になっても時計の針を一時間戻すことがなくなるのだとか。
うらやましい。
正直言ってサマータイムなんてなくなればいいのにと思っていたため、早くマニトバ州でも恒久的なサマータイムを導入してほしいものです。なぜなら、一時間だけでも生活のリズムがかわるとたまに時差ボケのような感覚になるし、日本との時差が1時間変わるのも気を使うし(食事時に電話しないようにしようとか)、家の3つのアナログ時計を変えるのも面倒ですしね。
日本では時計の針を一時間変えるなんてことがなかったため、何と言いますか「時間の流れは絶対的で信頼できる(けど支配もされる)もの」という感覚が無意識にあったように思います。
カナダに住むようになって、州によってサマータイムがあったりなかったり、自分で時計の針を進めたり戻したりしているうちにあらためて「時間って人間が作った概念なんだよな」とか「一時間時計の針を進めたってことは、始業時間も変わってくるのか」など、人間が手を加えている時間の流れというものがいかに生活に密着していて、時計の針に振り回されている存在であることを実感するのです。

「人間は時間的な存在である」と言ったのはドイツの哲学者、マルティン・ハイデガー。
存在を問ううえで時間の流れが不可欠となっていて、その時間の解釈次第で存在(人生)が変わっていくというようなハイデガーの思想は20代後半の私に多くの影響を与えました。
今になって、ハイデガーのことをネットで調べてみたのですが、若いころに出会って気に入ったフレーズ、
「現在は過去と未来に支えられて存在している」という名言が見つかりませんでした。確かハイデガー先生だったはず…。
約20年前の当時、「過去や未来を考えすぎるな、ただ今を生きろ」という言葉に違和感をもっていた私は、過去と未来という時間の流れがあるからこそ現在の自分が存在できているんだと考えるほうがいろんな意味で自分を許せる気がしたものです。
嫌な過去にとらわれることも、未来を悲観するのも自分が決めていることで、それはなんのため、誰のための過去や未来なのだろう?
それは自分の存在のためだったのではないか?
それなら、もっと今の自分を大切にする方向で過去や未来を解釈していってみてはどうだろう?
過去に起こったことは変えられないけど、解釈は変えられる。
未来に起こることはわからないけど、楽しみにすることはできそうだ。
そんなことを考えながら、プライドが高く、自己肯定感が低かった私は徐々に自分を許せていけたように思うのです。
『時間の中に放り込まれた存在は、死という一つの存在の終わりを覚悟しつつ自分本来の生き方を追求していく』というようにハイデガー先生は言っていたかと思うのですが、
「あまり自分を責めるのをやめなさいな。時間だって結構いい加減なところもあるし、そもそもいつだって時間はあなたの味方なんだよ」
と、私にだけささやいてくれたような気がしたのでした。
時計の針を自分の手で変えるたびに、存在と時間について考えさせられます。
その考えの基準にしているのが、
「今という時間の中で自分を大切にしているかな?」
という自問でして、あまり過去の嫌なことを引きずらない、未来を悲観しすぎない、そして自分を甘やかしすぎず、厳しくしすぎず今を楽しめているか、自分を好きでいられているかを確認するのです。
そう考えてみると前述とは逆の意見になりますが、一年に二回ある一時間時計の針を変える儀式というサマータイム制度は私にとって必要なのかも……。
それと、サマータイムという名称でテンションがちょっとあがるのもよいですし、3月でまだ雪も残っているのにサマータイムがくることで、キャンプなど夏の楽しみを思い起こさせてくれるきっかけになりそうですしね。
とりあえずは早く山菜を採りにいったり、息子の釣りに付き合ったりする5月にならないかな~。
いや、今(3月も4月)も楽しめるようにしていけたらと思っています。
あなたにとって今日も素敵な一日になりますように。
それでは、また。

