過去の私の話その2【罪悪感のはびこる所、起業編】

突然ですが全国にポックリ寺やポックリ地蔵なるポックリ信仰があるのをご存知でしょうか?

私は北は東北から南は熊本まで少なくとも100か所は廻ったと思います。

四国のお遍路時でもポックリ寺やポックリ観音はありました。

驚いたのは、ポックリ信仰を謳っているお寺には、観光バスが横付けされて、高齢者の観光客がお参りに来ているのです。つまり、ツアーの中に組み込まれているのですよね。(お参りしたらそのままバスの中でポックリなんていう都市伝説も存在していました。笑)

一時、PPKことピンピンコロリという言葉が流行りましたが、「コロリと死ねることはコントロールできないし、ピンピンと生きていることが前提となるのだったら差別につながる(なぜならすでに寝たきりの人はピンピンコロリといけないことになってしまうから)」という議論があり、下火になったそうです。

しかしながら、「下(しも)の世話になりたくない」という欲求は「死ぬ前に苦しみたくない」という欲求を勝り、本能的なごとく「迷惑をかけたくない欲求」というものを多くの日本人が持っており、ポックリ願望は文化として依然、根強いのではないでしょうか?

実際、迷惑をかけることがほとんどなく「お世話は私たちがしますよ」と身内が言ってくれたとしても、「寝たきりとなること=生産性のない自分」という図式が頭に浮かび、自分で自分が許せないという罪悪感を多くの人が持つことになるのです。

自分なりのプライド(美学)が自分の寝たきり状態を許さない場合や、単に自己肯定感が低いからお世話になることを悪いと思ってしまう場合もあるようです。(もちろん両方の場合も多いのですが・・・)

ポックリ寺のご住職やポックリ願望を持つ人たちとお話ししてきた結果、ポックリ願望というものの本質が私なりに見えてきました。

一言で表すなら、

もう、これ以上、自分の存在価値を下げたくない

という心の叫びだったように感じます。

ただでさえ老いて、迷惑をかけているかもと罪悪感をもっているからこそ「もうこれ以上、下げたくないからポックリ逝きたい」と思うのだと・・・。

老いと死のまわりには罪悪感がはびこっているのです。

ここでちょっと質問させてください。

あなたのまわりで「あのような終末期を送りたい」「あのように死んでいきたい」という事例はありますか?

残念ながら私のまわりには「早くお迎えが来てほしい」という人や、「あの人は幸せだったのだろうか?」と思われる事例が多かったです。

死ぬ前に本人がどう思おうが、その人の勝手であり、余計なお世話になりうることですが、死後に周りに影響をあたえるんですよね。

「あの人に生前、ああしてあげればよかった」「あんなことしなければよかった」などという後悔。もっと生々しいところでは、遺産相続でもめたり、葬儀やお墓の問題もあり得ます。

この終末期から死後の実務までを交通整理してくれるサービス業があったら、その部分の罪悪感や迷惑をかけたくない欲求が緩和されるのではないかと、私は起業することにしたのでした。

ちょっと想像してみてください。

「今日は、私の生前葬に参加してくれてありがとう。ちょっと恥ずかしいけど自分史みたいな映像をみんなと共有させてもらえて嬉しかった」

結婚式で新郎新婦のなれそめを動画で流すことがあるように、その人の生きてきた証を映像として流します。例えば、
「おじいちゃんって、こんなにすごい人だったんだね」「おばあちゃんのように素敵に生きるためのエッセンスが分かったような気がする」と次の世代へのメッセージ、ルーツの再確認となりえます。

息子からの感謝の手紙の朗読、孫からのプレゼントなどで会場は泣き笑いの渦。

閉会の前に、本人からひと言。

「終末期(余命6か月以内)となって、医療関係はすでに終末医療をお願いできる施設に入ることになるし、葬儀社やお墓も決めているから安心してほしい。そして、ここに集まってくれた親族の前で、私の遺言書を読ませてもらいたい。特に遺産に関しては、のちのちカドが立たないよう、直接私が希望をいって、共有したいと思うのだけど・・・」

本人が感謝と実務の希望を述べておくことで、死後、葬儀でよく聞く「もっとああしてあげればよかった」などという身内の後悔や反省は軽減され、さらに遺産相続をめぐる争いも避けられるかもしれません。

終末期に絶対的に足りていないのは、死にゆく人と残されてゆく人とのコミュニケーションや共有なのです。

残されてゆく人から「そろそろ死後のことを考えてよね」なんて言えませんし、死にゆく人が「死ぬ前に伝えたいことがあるんだけど」と言おうものなら「死なんて言わないで」と蓋をされかねません。お互いにとって居心地が悪くなるのですよね。もっと素敵な時間になるかもしれないのに、もったいない話です。

そこで、何か仕組みとして、解決できないものかと考え、3つのステップにしてみました。

1、死ぬ前の欲求を叶えるサービス(例えば、死ぬ前に思い出の場所に行きたい、あの人に感謝したい(謝りたい)など)

2、泣き笑いの生前セレモニーをする(自分の存在価値を高め、共有する)

3、死後の実務(葬儀・お墓、遺言作成サポート等)

これらどこからでも、どの部分だけでも専門家と協力してコンシェルジュのようにサポートしていくのです。

「結婚式という人生一大イベントであるウェディングにウェディングプランナーという職業があるように、人生一大イベントのはずの終末期をサポートする職業として、『エンディングプランナー』というサービス業があるのです」

これは、私がドリームゲートという起業家を育てる団体のビジネスプランコンテストで関東優勝をはたした時、300人近くの観客の前でプレゼンした出だしのスピーチ原稿です。

私はエンディングプランナーという言葉を商標登録し、罪悪感はびこる日本の終末期の文化を変えようと当時(10年前)本気で思っていたのでした。

つづく。

※備忘録(前回の投稿から今回までの支出)
【100.10ドル】バス9月分定期代

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