過去の私の話その3【死生観とは?エンディングビジネス黎明期】
妻の妊娠がはじめてわかった時、私たちは大いに喜ぶと同時に、まず何をどうしていけばよいのか現実に向き合うことを強いられました。
出産までの体調管理、出産費用、出産後の手続きなど準備しなければならないことが押し寄せてくるように感じたのです。
「好きで結婚して、子どもを授かったんだからそんなこと当たり前で覚悟しなきゃ」
このような正論が聞こえてきそうですが、今まで漠然としか考えていなかった妊娠や出産への情報をもっと詳しく知りたいと思うのは実際に妊娠がわかってからであって、それは今までの覚悟とは違った次元にあるように思います。
話を置き換えてみますが、例えば余命6か月と宣告されたとしたらどうでしょう?
「生きてきた以上、死ぬのは当たり前なんだから覚悟しなきゃ」
という理論が通じるか?という疑問があるわけです。
余命を宣告された人は、果たしてどのような情報を渇望するのでしょうか?
妊娠でしたら、例えばたまごクラブ・ひよこクラブのような妊娠出産にまつわる不安を解消するような雑誌があるのですが、終末期のかたにはそのような雑誌はありません。結婚にしてもゼクシィなど結婚情報誌があり、流れや心の準備を促すコツが紹介されています。
妊娠がわかったからこそ出てくる欲求、結婚が決まったからこそ出てくる欲求、そして終末期になったからこそ出てくる欲求。
これらに共通していることは、自分の人生の一大イベントであって、その時に当事者にならないとどのような欲求が湧き出てくるかわからないのです。
前回の投稿で『あなたのまわりで「あのような終末期を送りたい」「あのように死んでいきたい」という事例はありますか?』とお聞きしました。
ポックリと亡くなる『突然死』と終末期がある『段階死』は違いますから、今回は「あの人のようにポックリ逝きたい」という話ではなく、例えば余命宣告されてからどのように過ごしたいか、つまり、
「もし、あなたが終末期(余命6か月以内)になったらどのような欲求が出てきそうですか?」
「もし、明後日あたりに命が尽きるとしたら何をしたいでしょうか?」
と問われましたら、あなたでしたらどのように応えますでしょうか?
私は過去に百人以上の人に聞いてきました。(先日お会いした歩き人ふみさんとあゆみさんにもお聞きすることができました。なぜなら私の素性を話すうえでこれら過去の話を久しぶりに話す機会があったからです)
応えは千差万別すぎてここには書ききれませんが、大きく分けますと
【過去への後悔】(例:あの人に謝りたい・もっと自分の好きなことをすればよかった等)
【死ぬまで・死後への不安・希望】(例:迷惑をかけたくない・あの人を置いて先にいけない等)
【自分にフォーカスした不安・希望】(旅行にいきたい・痛くなく死にたい等)
【他人にフォーカスした不安・希望】(孫の顔が見たい・世界平和に貢献したい等)
横軸に左から過去・今・未来という時間軸がきて、縦軸の上に自分、下に他人という十字線を引いたマトリクスグラフに各欲求をおけるような気がしました。
ただし、死生観というは年代や身の回りの出来事(特に人とのつながり)によって変わっていくものです。
例えば、今までは「早く迎えに来てほしい」と思っていたご老人も、孫の誕生という出来事によって「まだまだ死ねない」と変わるように、当事者にならない時点で死ぬ前の欲求を考えてもあまり意味がないことかもしれません。一方で、病気や年を重ねていくと否応なしに死を考えさせられるようになるという人も多いですから、考えるための具・材料(情報)を集めたい、自分らしい死生観を用意しておきたいと思う人もいるのです。
(ここでいう【死生観】とは『「自分の終末期ってこうだったらいいな~」と考え・表現すること』と定義しています)
脅かすわけではありませんが、自分の終末期を考えておかなかった・話し合っておかなかったがために、いざその時になった際、「私が死んだら・・・」と話した途端に「いや、死ぬなんて言わないで」とタブー視され、何も言えずにお互いが居心地が悪くなったまま、病院の一室で患者様からそのまま仏様に・・・。残された人にとって「あの人、あんなことしたかったんじゃないかしら、ああすればよかった」という反省が一生の罪悪感になっていくなんて事例は少なくないと思います。
死ぬ前だからしたいこと、できること、すべきこと。
身内にはお願いしづらく、角もたつことがあるので、第三者としてエンディングプランナーがいればと起業したのが2003年。
起業当初、有料で経営コンサルタントに相談し、ビジネスセミナーや異業種交流会に参加するなどできることはすべてしてきました。
同時に、会社設立や商標登録、会計ソフト導入、ホームページ作成などで、あっという間に前職でいただいた退職金がなくなっていきます。
2007年ビジネスプランコンテストに優勝したため、その賞金と当時、インタビュー記事のおかげで何とか軌道に乗れるかと思ったのですが、スタッフを雇おうとした途端、経費(主に人件費)の重さが身に染みて、いや、具体的に言うなら売り上げも出ていないのに毎月給料をはらうという怖さを実感したものです。
今の永住権への基盤作りもそうですが、ゼロからイチを作り上げていくのはやりがいがあるのですが、時間とお金を必要とします。
お金をかけてプロにお任せするという方法もありますが、基本的に自分の判断でマネージメントし、タイミングをみて手続きしていかなければなりません。
さて、その後、
このエンディングビジネスはどうなっていったと思います?
結論から言いますと、
私は約13年間、自分の会社を続けたのち売却して、そのお金を移民への資金にしました。
と書くとカッコいいでしょ?(事実ですが)
また、今まで熱っぽく語ってきた私の思いや、上記の理論武装がビジネスの実社会ではどうなっていったのか、気になりませんか?
お待たせいたしました。
次回では『鳴かず飛ばずで終わった真実(失敗談・笑)』について書いていきたいと思います。
お楽しみに。
※備忘録(前回の投稿から今回までの支出)
【合計54.01ドル】
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