過去の私の話その5【生きづらいをどうするか?】
カナダに住んでいると「こうでなければいけない」ということから解放されていくような気がします。
カレッジに通っていた時、お菓子を食べながら授業を受けている生徒・パジャマで来ている生徒にビックリしていたら、先生もお菓子食べたり、ガムを噛んで授業をしていたりして「これも当たり前の風景なのか」と驚いたものです。(笑)
また、人種という多様性に加えて、LGBTQというセクシャルな多様性への寛容さがカナダらしいと思っています。
今まで書いてきた投稿の「死のタブー」について日本では未だあまり変わっていないように思いますが、LGBTQは以前より受け入れられてきているように感じます。(同性結婚の法制化はまだされていませんが)
『結婚(出産含む)』の周辺にも日本では「しなければならない」という暗黙の圧力が存在しています。
「誰か良い相手、いないの?」「孫の顔が見たいわ」
これらの言葉を言われる本人たちの居心地の悪さは計り知れません。
誤解を恐れずに言うなら『子孫を残すか残さないかで決まってしまうその人の存在価値』というものが暗黙のうちに存在していると思うのです。
それでは、子孫を残せない、残したくない人はどうしたらよいのでしょう?
結婚や子孫と無縁となった人の多くは何らかの罪悪感、居心地の悪さを感じているのではないでしょうか?
私はこの分野においても、どうしたら罪悪感や居心地の悪さで生きづらい人生にならないようになるだろうかを考えていました。
ちょうどその時、私が通っていた前回書いたビジネス系の大学院でクラス内のビジネスプランコンテストがありました。
私は、エンディングビジネスではなく、マッチングビジネスを立案し、プレゼンしたのでした。
『子どもを授かれない(授からない)人たちのための恋愛・結婚相談所』
身体的(年齢的も)子どもを授かれない人、ただ単に子どもを授かりたくない人など分類をしっかりした上で「お互い相手が子どもを期待しない」という前提のもとで恋愛や結婚ができるというプラットフォームをウェブ上に作るのです。
今までこの前提がなかったから、今まで恋愛に憶病になり、もしくは恋愛してから「実は子どもが期待できない」と告白するのが辛くなるという居心地の悪さがあったのです。
子どもを期待されない関係という前提があることで将来設計も同じ方向を見ることができ、絆が深まることでしょう。
と、
このように必要性や理想論を語って勢いでそのクラスでのビジネスプランコンテストは優勝しましたが、
「こんなタブーを扱うビジネスはニッチすぎて商売として成り立たない」
「時間と資金の大量投下がないと軌道に乗らないよ」
「もし、子どもができない同士だと思って結婚したのに、望まなくして子どもができてしまったらどうするの?」
「少子化をさらに助長するんじゃない?」
「代表者となるあなたがもし子どもが期待できなくて恋愛や結婚に悩み続けていたら同志が増えるだろうけど、子どもができた時点で裏切られたと思う人がでるかもよ」
などなど、酷評されたことも事実です。
あれから10年以上経ちますが、いまだに上記のようなビジネスに出会うことはできていません。(もし、ご存知の方がいましたら教えてください)
「生きづらい人がどうやったらちょっとでも居心地よくなれるのか?」
簡単なことではないのはわかっていますが、ビジネスがなんらかの仕組みとして、また、キッカケとしてそこに存在することで、居心地が悪く罪悪感を持ってしまっている人たちに寄り添えることができるのではないかと思いたいのです。
ビジネスにはなっていませんが、私は自分自身、カナダに移民することで新たなビジネスプランを実行しているような気分でいます。
「日本では生きづらい人でも、海外だったら生きやすくなるのではないか」という仮説の証明のようなものです。
こればかりは結婚のように、その人の適性や相手(=興味を持った国)に何をもとめるかによって違ってくるため、それこそ「こうあるべき」という結論にはなりませんが、一つの実例にはなるのではないかと思ってこのブログも続けています。
よく、
「日本でダメな奴は海外に行ってもダメだよ」
という話を聞きます。
本当にそうでしょうか?
いつも思うのですが、何が『ダメ』なんだというところがこの説から抜けています。
例えば、こういうことなのでしょうか?
「日本で通用しない(マシにいきられない)奴は海外でも通用しない」
つまり、日本での常識にあわなくて、経済的に自立していなければ通用しないということなのかな?
なぜかこの問題は私を感情的にさせるのですが、
「結婚したあの人とうまくやっていけないなら、ほかの人でも結婚はうまくいかない」
「生んでくれた親・家族という環境でやっていけないなら、ほかの人との環境でもやっていけない」
という言い換えをどう思うかって話ですよ!(その環境にならなきゃわからんでしょ?)
どんな人でも、居心地の良さを求めてよいはずだし、その人の人生に責任持てないような人がとやかく言うのはどうかと思うのです。
しかしながら、一つだけ
「日本でダメな奴は海外に行ってもダメ」というのが通用してしまう一側面があるのも確かです。
それは、
「文句を言う奴はどこに行っても文句を言う」
という言葉に言い換えられるように、どこに行っても(誰が相手でも)不平不満ばかり、被害者意識が強く自立心が低いような人に当てはまります。
『ダメ』という言葉がどの側面を示しているかが曖昧だったからこそ、
「日本でダメな奴は海外でもダメ』という言葉に違和感があったのだと感じたのでした。
私は以前アメリカに駐在していた時に「こんなにも同調圧力がなく、気を遣わなくて済むのか。居心地がいいな~」という経験があったため海外移民にずっと興味がありました。ですから特に日本に対して不平不満が高じてというわけではありません。
移住してみて確かに健康面、経済面で必要なことはひしひしと感じますが、それは日本にいてもさほど変わらないのではないかと思えています。
海外移住をタブーにしない、居心地よく、もっと幸せになって良いはずだという生活の仕方こそ、私の今のビジネスプランの実行なのだと思って楽しんでいるつもりです。
これからも引き続き応援してくださると嬉しいです。
5回におよぶ過去の私の話に付き合ってくださってありがとうございました。
次回からは今までのようにウィニペグでの今や将来の生活の話をつづっていこうと思っています。
それでは、また。
※備忘録(前回の投稿から今回までの支出)
【合計401.94ドル】固定資産税含む
過去の話を書いたらおかげさまでスッキリすることができました。ブログってセルフカウンセリング効果がありますよね。次に向かって歩んで行けそうです。いつも応援ありがとうございます。以下のボタンを押してからのご退出をよろしくお願いします。
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