一時帰国シリーズ最終話(カナダへランディング)

一時帰国シリーズも最終話となりました。いつも読んでくださりありがとうございます。

「ボルさんから見て今の日本はどのように変わったと映るの?」

東京滞在中に人生の先輩から聞かれ、どのように答えようか一瞬悩みました。

3年ぶりというのはどれくらい日本に変化があるのか、同時にどれくらい自分の心に変化がでているのかなどを考えると、『時代の流れの変化なのか』『日本(環境)の変化なのか』『自分の変化なのか』『それらは良い変化なのか、悪い変化と思っているのか』という少なくとも4つの視点から見ることができるため、自分でもまだ整理ができていなかったのでした。

故郷を離れてみて気づくこと、子どもの成長を中心に物事をみていることなど、距離的、立場・環境的に見えてくることは変わってくるものです。

さらに、どのように映るのかは、自分との関係性において決まってくるような気がしています。

たとえば、親元を初めて離れた時、実家に一時的に帰省する時の自分の立場や、そもそも実家との関係性がどうだったかによってどのように映るのかが変わるように、別の例で言えば、昔付き合っていた異性、離婚した相手に出会ってどのように映るかというのは、もちろん相手の変化もありますが、自分のその時の心の余裕さや付き合っていた時の関係性、別れた時の感情、その後の距離感などが決めていくのではないかと思うのです。

そのように考えると、私の場合、社会人になって出ていくことになったけど愛している実家の家族、子どもの教育、将来設計を考えて出ていくことになったけど愛している日本を実感できています。距離が近かった時の嫌な思い出なんて忘れてしまっていました。帰省や旅行気分だから良い面しか見ようとしないし、悪い面は心理的距離感があるから片目をつぶってやり過ごすこともできるのです。

今回は幸運なことに悪い面をほとんど見ることなく過ごすことができました。

そのため、

「あなたにとって今の日本はどのように変わったと映るのか」という質問には、政治や経済、災害の問題が日本でリアルタイムで起こっていようとも、

「昔と変わらない良い思い出の日本が映っています」としか答えられないのだといきつきました。不平不満を言っても何が変わるわけでもないし、自分が変わることしかできないし……。(そもそも自分たち家族のことで精一杯な現状があるけど、まわりには感謝しかない)

 

さて、今回はカナダへ戻るまでのお話です。

カナダへ戻るためにスーツケースにお土産や買いたかったものを詰めて、さらに父から譲ってもらった木版画や民芸品をエアカナダの重さ既定の23キロ以内にまとめて6箱作ることができました。4人家族の場合、8荷物まで機内受託荷物として無料ですからね。

この荷物の多さは成田空港まで送ってくれる人がいなければ計画が立てられないわけでして、76歳にしてレンタカーを借りて送ってくれた父には感謝です。

成田空港のチェックインカウンターに行くと、長蛇の列がありました。

「今現在、コンピューターがシャットダウンしていまして手作業でチェックイン手続きをしています」とのこと。

2時間前に着いていて本当に良かったです。

ようやく私たち家族の番になるころにはコンピューターが元通りになったようで、チェックインがスムーズになってきました。

こわれもの注意のシールを張ってもらい、チケット発券という時になって、

「あれ?お子さんお二人のeTA(=電子渡航認証)が登録されていません」って……。

私はパスポートを更新していたからその際にeTAをオンラインで申請してすぐ発行してもらえました。eTAは最長5年、パスポートの有効期限に合わせて有効期限が設定されているため、2016年7月に渡加した際にeTAをとってまだ3年ですから妻と子ども達の有効期限は大丈夫だと思っていたのでした。

なぜ、子ども達だけeTAが登録されていないのだろう?

そもそも、CoPRを持っているんだからeTAが必要ないのでは?

根拠はこのIRCCのホームページのQ&A。

チェックインカウンターの日本人スタッフにこのホームページの画面を見せても上司と相談するばかりでやがて
「eTAの番号を入力しないとチケットが発券できないのですから、お子さんのeTAをオンラインで登録してください」ということになったのでした。

ああ、この便に乗れなかったら今日、どこに泊まったらよいのだろう。

どれくらい高いチケット代を払ってウィニペグまでのフライトを取り直さないといけないのか?

そんなことが頭によぎります。

そこでまずチェックインカウンターの担当に「子ども達のeTAをとるにはどれくらい時間がかかるのか」を聞いてみました。

「うまくいけば申請後数分で登録完了となります」

一度預けた荷物をまたカートに乗せ、長蛇の列から離れて、近くのベンチで登録作業に入りました。ただでさえコンピューターのシャットダウンでチェックイン作業がおくれていたにも関わらず、二人分のeTAのオンライン申請をしなければならない時間に追われ、さらにすぐに登録と返信してもらえるのかという不安で、手続き中は頭から湯気が出そうでした(こんな感じでした↓)


(子ども達のパスポートを片手にiPadで申請作業をする茹でタコおやじの図)

eTAって5分もかからず登録完了の返信メールがくるのですね。

7ドルをクレジットカードでオンライン支払を済ませ、娘の分の登録が終わった時点で、もうチェックインカウンターは最終コールがかかっていました。

さらに頭から湯気をだしながら息子の分を申請し終わってチェックインカウンターに再度向かい返信を待ったのですがまだメールがきません。

今回は長蛇の列の後ろに並ばされることなく、出発時間が近いため優先的にチェックインをさせてもらいました。チェックインカウンターでまた8個の荷物を預けて、チケット発券の時になってようやく登録完了の返信がきました。メールが来た時と同じくして「あ、本当ですね、今登録がありました」とチェックインカウンター内のコンピューターで確認をしてくれました。パスポートに紐づけられるeTAはパスポートをチェックインカウンターで調べるとeTAが登録されているかいないかがわかるのですね。

なぜ、子ども達のeTAカードが2016年の7月に渡加してその後パスポートを更新していないのに有効期限が切れていたのか不思議に思っていたのですが、どうやら2016年夏の段階ではまだeTAが義務化されていなかったから登録しなかったのではないかとわかりました。学生ビザの申請など渡加の手続きは当時、グローバルマインドさんにお願いしていたため、大人だけeTAが登録されていたけど、子どもはビジタービザだからとらなかったのかもしれません。人任せにしてしまうといずれ自分で確認できなくなることがあるから注意が必要だと反省です。

チェックインにギリギリ間に合った割には、飛行機の搭乗時間が遅れていて、セキュリティーゲートをくぐったあとは比較的ゆっくり過ごすことができました。

子ども達は空港内の売店で買ったおにぎりを頬張って日本最後の晩餐?をしたのち、

乗り換え地であるカルガリーに向けてのフライトに乗りました。

子どもが横になろうとしたら、後ろのシートに座っているインド系のおばさんの足がニョキっと。

息子は怖くて眠れなくなってしまったようです。

10時間以上経ってようやくカルガリーに着き、キオスク端末で税関申告手続きを済ませてから案内に従い移民局の事務所に向かいます。

幸い待っている人が少なく、番号札を手にしたあとすぐに呼ばれることになりました。

CoPRを持っているのでランディングをしたいと説明すると、家族分のパスポートとCoPRを提出すると(そういえば残高証明書は用意していたけど求められませんでした)、最近犯罪を犯していないか、この書類が確かなものかを確認&宣誓のサインをしたあとは待合ロビーで待っているだけ。

待っている間、移民局のスタッフはバンバンバン!とスタンプを押していきます。景気よく3個も家族ごとのCoPRにスタンプを押してくれて、30分後には呼ばれました。

「Congratulations!」

イケメンのスタッフがにこやかにCoPRとパスポートを返してくれました。そして、一枚の書類にはこの後のガイダンスが書いてあります。例えばドライバーズライセンス、メディカルカバレージ、SIN番号などの変更手続きが必要だということをちょこっと説明してくれて、再度「Congratulations」と言っておしまいでした。

無事に済んで隣をみてみると、なんと妻が感涙しています。

3年間、この時を待っていました。

娘は「ママ、泣いているの」と心配しています。

永住権申請者として妻は労働ビザで頑張ってくれました。日常生活で悔し涙や悲し涙で泣いた日も少なくはありません。それが永住権が無事にとれたことで嬉し涙に転化したのです。

私は
「この涙の意味は大人になった時にもっとわかると思うよ」と娘に伝えました。

いずれ子ども達も辛い涙はあろうけど、嬉し涙に変わる瞬間を味わってもらいたいと思います。

 

移民局オフィスのカウンターから待合ロビーに戻るとインド系の女性たちが心配してくれました。

「どうしたの?何があったの?」

妻が泣いていたからカナダ入国拒否を命じられたのかと思ったのでしょう。

「私たちはランディングを終え、ついにPRのステイタスになったのです」

私の説明後に、彼女たちの顔がパッと華やぎ

「Congratulations!」とここでも言われて妻はまた号泣。

おそらく一生忘れないシーンになることでしょう。

 

私もつられ涙をしましたが、まだ緊張は続いていまして、特に成田で載せた荷物が無事にウィニペグまで届くか、さらには税関で何か言われるのではないかと心配していました。(ウィニペグで税関を再び通ることはありませんでしたが)

定刻でウィニペグに着き、バゲージクレーム(預け荷物ピックアップ場所)に直行し、ベルトコンベアーからはスーツケースが流れてきます。私たちは8つも荷物があるからスタンバっていたのですが、スーツケース2つしか出てきません。業務用ラップでぐるぐる巻きにした荷物はどこにいったのでしょう?

待っている間、赤いスーツケースをよく見てみると「中をチェックするため開けたよ」というようなシールが貼ってありました。

中を開けて確認してみると荒らされている形跡はなし。

ただ、このような手紙が入っていました。

「何もアイテムは取り除いていないよ」との欄にチェックマークがついています。

怪しいものは何もいれていませんでしたが、もしかしたら梅干しの真空パックや味噌の真空パックあたりが怪しいと思われたかもしれません。特に荷物で追加料金や関税がかかることがなくて良かったです。

さらに10分近く経って荷物がベルトコンベアーに流れなくなっても残りの荷物が出てきません。どうしたことだろうと周りを見回してみると、

6つともいつの間にか少し離れた「オーバーサイズ・バゲージ」のところに置いてあるではありませんか!最初に置かれていたのか、途中で置かれたのかわかりませんが、ベルトコンベアからちょっと離れたところにこの場所があるため、気づきませんでした。盗まれていなくて、しかも壊れていなくて良かったです。(オーバーサイズにならないよう3辺を既定の158センチ以内にして調整しておいたのにオーバーサイズの場所においてあるなんて……)

私だけバスで自宅に帰り、車を乗って空港まで戻り、荷物を載せて無事に帰ることができましたよ。長い旅がようやく終わりました。

その後、1週間近く時差ボケに悩まされ、SIN番号やマニトバヘルスの手続きに悩まされ、同時に職探しもしています。

子ども達はカナダに戻ってきた翌日から学校に行ったのですが、息子の方がダウンしてしまってしばらく学校を休みましたよ。

でも、やり切った感があります。

無事にランディングできたこともそうですが、一時帰国できて本当に幸せでした。

これからが新たなスタートです。

永住権がとれたからこそ有利になること(妻が通う予定の語学学校の授業料が無料になるなど)をフルに享受してさらにウィニペグ生活を楽しんでいきたいと思います。

それでは、また。

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