食欲が増すと「もったいない」という意識が高まる。貧乏性なのだろうか?
本日、2025年9月6日(土)のカナダ・マニトバ州ウィニペグの最低気温は7度。最高気温は14度。日の出は6時53分。日の入りは20時です。
だんだんと寒くなってきているのですが、それに比例するかのように食欲が増して困っています。(←多くのウィニペガーが共感のため首を縦に振っていることでしょうw)

先日、家族でキャンプをした際も、1キログラム以上はある枕のように大きな豚バラをBBQして4人でペロリと食べてしまいました。
ポークベリーって、家のグリルで調理すると脂があまりに多く出てギトギトになるため、外で調理したほうが脂の処理に困りません。炭火でじっくり焼くのですが、脂身から滴る脂で炭が勢い良く燃えるので焼くのが意外と難しいです。

良い匂いがしてきます。
でも、外側はカリカリに焼けてもまだ中が生っぽいため、調理用ハサミで切ってアルミトレイに入れて再度焼きます。アルミトレイの底に溜まっていく液体状になっている脂を捨ててから(燃やしたら)家から持って行った特製のニンニク醤油ダレを絡めて完成。

(上の写真のようなアルミトレイはキャンプでBBQをする際には持っていくことをお勧めします。汎用性がありますし、そのまま畳んで捨てられるのがよい。醤油ダレは調理の終わりごろにつけましょう。焦げちゃいますからね)
「牛肉のBBQもいいけど、ブタのほうが美味しいかも」
と、子どもたちは豚肉のほうが好きみたいです。
私たち夫婦は、肉以外にもピーマンや、妻が朝にキャンプサイト近くの草むらから採ってきたキノコを焼いて食べましたよ。

(「まだこのくらい笠が開いていないのが食べごろよ」と妻のキノコ知識には感心する)

普通のマッシュルームの味で美味しかったです。笠が開いてくると墨汁のような黒い液体が出てくるので食べないほうが良いと思います。(基本的にキノコの実食は自己責任で!)
ピーマンは我が家の裏庭家庭菜園で収穫したものを持っていきました。
話はちょっと変わりますが、今夏の我が家の裏庭家庭菜園は大失敗に終わりました。とほほ。
ピーマンはできが悪くて、不格好ばかり。

キュウリに至っては、不貞腐れてしまったのかというくらい不格好。(皮が固すぎて不味い)

トマトもほとんど赤くならなくて、しかも丸いプチトマトを購入したはずなのですが、違う種類のトマトが成るというカナダらしいいい加減さ。

(このいびつなひょうたんみたいなトマトはなんていう種類のトマトなんだろう。味はまあまあ美味しいけど)
キュウリは皮をむいてキューブ状にカットして、トマトも同じようにカットして、キノアサラダを作って無駄なく消費しています。

無駄になりそうな植物は、育ちすぎた空心菜。

中華料理で空心菜炒めが大好きなので余裕で消費できると思ったのですが、毎日食べられるものではありません。それに洗うのが面倒くさくてなかなか収穫しようと思わないのが困りものです。
それでも、ホワイトシチューに入れたり、サラダにしたり、野沢菜みたいな漬物にしたり、冷凍したりと頑張って消費しています。
息子が空心菜炒めが嫌いらしく食べなかったのがショックで思わず「野菜を残さないで食べなさい!」と怒ってしまいましたが、それでも食べなくて残したため、もう作りたくなくなりました。こんなにまだガーデンベッドに残っているのにどうしようと絶望的な気持ちになります。昭和生まれの私にとって食材を残すことにすごく罪悪感があるのです。
空心菜を多く種植えしてしまったがために親子喧嘩になってしまい、食材消費に追われるかのような気持ちになってしまうのですから、作付け計画をきちんと考えて作らないと家庭菜園は失敗するということを改めて学びました。
小さなころ私は貧乏だったため「もったいない」という気持ちが強すぎるのだと思います。
息子がおかずである肉(例えばとんかつ)ばかり食べて、お茶碗によそったご飯をほとんど食べないと何だかモヤモヤするのです。
例えば、天ぷら定食を頼んだ場合、私だったらおかずである天ぷらをひとかじりしてご飯をいっぱい食べ、なるべく効率よくお腹一杯にしたいと体育会系っぽい思考?があるのですが、そのおかずとご飯の配分が息子と自分と違うというだけで、なんだかソワソワしてくるのですw。
「おーい、そんなに白米残しておいて、おかずなしであとで白米だけ食べるのかいな~」と口には出さないまでも、最後に残された白米がおかずという友達なしに、惰性のごとく消費されていくのがなんだか不憫というか、「それでいいのか?」と思ってしまうのは貧乏だったからなのかもしれません。
一方で、貧乏性だからというわけではないかもというのが以下のお話。
タレントの伊集院光だったかが興味深いことをとある放送で言っていたのを思い出します。
「日本人の白米に対する思い入れの強さは他の国には理解しづらいだろうね。たいていのおかずに(例えばシチューにも)白米。お茶碗に一粒も残してはいけないと教えられている家庭も少なくない。(中略)例えば、江戸時代にキリスト教徒か否かを確認するために『踏み絵』を利用したように、日本人か否かを『おにぎりを踏めるか踏めないか』で判断できるのではないか」というようなことを言っていて、
「あ、確かにおにぎりは踏めないわ」と即、直感的に感じました。
その放送を聞いてから、白米に対してもったいないという側面以外何か特別なもの感じたのです。
あなたはどう思いますか?
もう一つ、こんな話はどうでしょう。(以下はネットで拾ってきた本当にあった怖い話)
****ここから****
今の嫁さんと結婚する前、嫁さんの実家では4合の白米をほぼ毎夕食炊いていたそうです。嫁さんは僕と結婚するにあたって花嫁修業をして毎食のように僕の好きな和食を慣れない手で作ってくれるのです。ある時、夕食時に白米を自分でよそったら、炊飯器には4合分の白米が炊き上がっていることに気づきました。ん?二人暮らしなんだから夕飯に2合でも多いですし、翌日の弁当分かなと考えたとしても3合があれば足りるはず。冷凍庫に残された白米が小分けされているわけでもなし。はて?
嫁さんにそのことを聞いてみると「え、だってお米って4合くらい多く炊かないと美味しく炊けないんでしょ?」「それじゃ、炊飯器に残った白米はどこに行ったの?」「そんなのいつも捨てているわよ」「え……」
ほぼ毎食、4合炊いて、余ったら捨てていただって……。
****ここまで****
なんだか、ゾっとしませんでしたか?
もったいないお化けが出てきそうですし、水田で稲刈りをした人たちに申し訳ない。そして何より、あれほど白米と仲良く、最後の一粒まで大切にしてきた自分の人生を否定されているようにも感じるのです(←大げさか!w)
これと似たような現象で『ベッド(布団)に汚い服のまま寝ることを許せない自分』というのがいます。
おそらく内と外の境界をはっきりさせたいとか、【ハレとケ】といったような文化人類学や民俗学にも通じる日本の伝統的な文化が影響しているのかと思いますが、海外ドラマなどでたまに見かける『靴を履いたままベッドに寝っ転がろうとする外国人』や、『数日間お風呂に入らないでお布団にくるまろうする人たち(や寝間着に着替えない人)』にもモヤモヤしてしまうのです。(おかしいな~それほど潔癖症でもないのに)
多文化多人種のカナダに9年以上住んでいるのに、上記のようなモヤモヤがいまだに抜けない(抜ける気がしない)のと、この時期になると食欲が増していくというのが地味に困ってしまうこととして挙げられます。
ただ単に貧乏性だからなのでしょうかね?
あなたにも何かしらありませんか?このような日常生活に見え隠れするモヤモヤや困りごと。
何かご意見や感想、ご質問がありましたらいつでもご連絡くださいね。
それでは、また。

