息子の場面緘黙症について。カナダの学校で支援を受けることに。
2024年10月25日、誠賢(11歳)の中学校の担任の先生からメールが届きました。
件名は【Classroom behaviours】とあり、「クラスルーム・ビヘイビアー?誠賢のクラスでの振る舞いについてってことは何か問題行動があったのだろうか?」と心配になり、本文を読み進めます。
要約すると「誠賢はとてもおとなしくて良い子ですが、学校としては彼にもっとコミュニケーション能力を向上してもらいたいと思っています。彼の寡黙さは時にクラスの進行やグループワークの妨げになっていることがあるからです。彼のために何かできることはありませんか?今度の三者面談の時に話してみましょう」というような内容でした。
正直に告白しますが、このメールを読んだ時に私は頭に血がのぼってしまいました。なぜなら『うちの子がクラス進行の妨げになっているだと!』ここにフォーカスしてしまったからです。(その後、誠賢のことを考えてくれている先生に感謝のメールを返信しました)
妻は冷静に「スモールトーク(例:天気いいですねで始まるような会話)が当たり前のようなカナダの文化において、あのオープンさや陽気さをベースとしてコミュニケーション能力を求められるとつらいわよね」と私に共感してくれながらも、先生がなぜこのようなメールをくださったのかの真意を一緒に考える方向に導いてくれます。
「今までの先生はただ「大人しい生徒だ」とか、「移民でまだ英語が話せないから」ということからそのままにしてくれていたけど、もしかしてこれはもっとシリアスなことなのではないかしら?」
「誠賢は学校に行きたがってるし、休み時間などは一人でいるのがいいって言っていたし、そのままで何がいけないんだろう?彼の個性を尊重してほしいよ……」と私はブツブツ言い始めます。
しかし、その後すぐに妻がインターネットで息子の症状に合致する精神疾患の症例を見つけてきて、いかに私の考えが間違っていたかに思い至ったのでした。
突然ですが、あなたは【場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)】って聞いたことがありますか?
まず、ウィキペディアでは以下のように説明されていました。
『場面緘黙症、選択性緘黙(せんたくせいかんもく、英: Selective Mutism,SM)とは、家庭などでは話すことが出来るのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、ある特定の場面・状況では話すことができなくなる疾患である。 幼児期に発症するケースが多い』
そのほか、場面緘黙で検索するとトップページに出てくる品川メンタルクリニックさんの説明を引用・要約すると、
『場面緘黙症は、周りから性格によるものと誤解されやすいですが、そうではありません。
決して人見知りや恥ずかしがりではなく、また親のしつけや家庭環境によるものでもありません。
自分から話す場面を人に聞かれたり、見られたりすることに対して強い恐怖を抱いてしまいます。
症状はそのような性格によるものだと、見過ごされてしまうのです。
子供本人からすると、なぜ自分自身が話せなくなってしまうのか分からずにいます。自分の意思によってわざと話さないと誤解されてしまうことも多いのです。場面緘黙症の原因は、現時点においては研究段階であり、よく分かっていません。早期発見や早期支援が、症状の改善にはとても重要になります。適切に対応できなかった場合には、うつ病など二次的な問題を引き起こしてしまうきっかけとなることがあります』と書かれてありました。
どうやら、言葉の知識不足や、コミュニケーション症、ASD(自閉スペクトラム症)、統合失調症などほかの精神疾患によるものではなく、医学上の定義では不安症(不安障害)の一種と考えられていて、発達障害の定義にはふくまれていないのだそうです。
私が思い間違っていたこととは、
・彼の個性の部分を無理に直そうとしないほうがよい → 早期支援が必要である
・学校では一人でいるのを自分の意志で選んでいる → 話したくても話せないから一人でいるしかない
・うちではうるさいくらい元気に話しているのだから → 新しい先生と話せなくて筆談しているのを知らなかった
頭をバットで殴られたような感覚でした。いや、もう一層のこと、こんな勘違いをしていた自分を殴って欲しかった。
妻と「いつから場面緘黙が発症したのだろうか」と話し合いました。
・まず、小学校5年生の時に、先生から「もっと他の子どもと遊びましょうよ」と言われて困惑している息子を思い出します。
・マニトバ日系文化センターで日本語学校に小学生の時に通っていた際も友達を作ろうとせず、休み時間にずっと一人で椅子におとなしく座っていたのも思い出しました。そう、クラスメイトが日本人でさえ友達を作ろうとしなかったことに驚いたのです。(英語だけの問題ではない)
・誠賢は3歳でカナダに来ていますから、日本語でさえ発達段階で、英語はほとんど話そうとしませんでした。移民体験が原因とは考えづらいと思っています。なぜならそれほどすぐに英語を話すことを求められていなかったからです。
・カナダに来る前の数か月、保育園に通いましたが思えばその時も友達を作らず、静かに工作をしていました。
・幼児の時は人見知りや場所見知りが激しく、どこかに連れて行くとグズッているか寝ているかのどちらかでした。
どうもトリガーとなる出来事や、トラウマになりうるような出来事が思い浮かびません。
そもそも、この場面緘黙症は先天的なものらしく原因はわかっていないわけですから、無理に犯人捜しをする必要はないのでしょう。
日本の実家の父にこのことを報告したところ「こういうのは原因の追及や犯人捜しをしても意味がないから、とにかく誠賢君に必要だと思われることをする・支援を受けるといいよ」とまさにネットにある精神科医の先生のような回答をしてくれて安心しました。
でも、それからも毎日考えてしまうんですよ。
1,【何が不安の原因で、これからどうしたらよいのだろう?】
2,【どのくらい重症なのだろう?】
3,【医師による診断が必要なのだろうか?】
4,【誠賢にいつ・どのように伝えたらよいだろうか?】
妻も仕事が手につかなくなってよくミスをしてしまったと言っています。
13歳の娘もこのことはとても気に病んでいて、
「私が誠賢をかばいすぎて彼が英語を話す機会を奪ってしまった」と今週になって改めて話してくれた時には、子ども達がいないところで夫婦して涙したものです。こんなにも優しいお姉さんになってくれて、しかも親を信じてこのように話してくれて感謝しかありません。
上記の4つの質問は、2024年11月7日(木)の三者面談のあとに別室で話し合うことができました。
11月7日(木)は娘が16時40分から10分間、息子は16時50分から10分間の三者面談の日でした。日本のような面談というより、日ごろの成果物を親に見てもらい、先生と軽く話しておしまいといった感じです。
その後、娘に息子を連れて帰ってもらって、私と妻は17時から予約しているリソースティーチャーと学区の学校カウンセラー(心理学者)との会議の時間となりました。
会議室に入ると、友人である日本人の方が通訳としていてビックリしました。通訳は娘が英語が達者だからと必要ないと断っていたのですが、学校側が「専門用語が多いし、守秘義務要素があるから彼女(うちの娘)より通訳を用意したほうがよい」と提案してくれたのでお願いすることになっていたのです。まさか一番適任だと実感できる人が来てくれているとは……。私たちは安心して会議に臨むことができたのでした。
まず、カウンセラーから、私たち夫婦からみた現状と息子への解釈、そして過去のことを聞かれます。
やはり『いつからなのか』を聞かれるわけですが、上記したようにいつからかはわからない苦しさを伝えました。
また、話せない時の彼の症状は、例えば苦しそうだとか、汗が出ているとか、貧乏ゆすりをするだとか何かしら出ているのかを聞かれるのですが、この答えも難しかったです。
以前コロナ禍でリモート授業だった時に、私がパソコンを操作して彼の横にいて確認していたのですが、ただ黙り込んでしまって、先生の質問にうなずくか首を振るなどのジェスチャーしかしなかったことを思い出し、そのことを伝えました。
そうか、2020年のコロナの時期、少なくとも4年前には緘黙症だと気づけてもよかったものを……。
その当時「どうしたの誠賢?答えないと。もし間違っても誰も責めないし、1対1のリモート授業なんだから誰も見ていないから緊張しなくていいんだよ。パパがいて緊張するんだったらパパは席を外そうか?」と聞いたことも思い出しました。
その時の彼のリアクションを言い表すとしたら、話したくても話せない自分も困っているという感じで、一人でリモート授業を受ける不安よりパパと一緒にいたほうがよいからと思ったからか「パパは横にいて欲しい」とだけ言っていました。
ああ、本当に自分が情けない。
この時、この彼の声にならない苦しみにもっと寄り添ってあげていたらよかったのに。緊張や恥ずかしさ、そして彼の性格的なものから話さないのだとすっかり勘違いしていました。
どうしたらよいのだろう……。
その答えをこの会議で聞けたらと1時間近くかけて話し合ったのでした。
場面緘黙症かどうかの診断が必要かや、どれくらい重症かはお医者さんにかかって聞くのはよいかもしれないけど、専門医に会うまで数か月から数年待たされて、薬品を処方される可能性もあるそうです。
しかも、医者にかかった場合は学校とは違ったアプローチとなってしまうから学校側は支援を中止するかもしれないというのが気になりました。
学校側のサポートは担任の先生を中心にして、誠賢に強制的ではなく段階的にコミュニケーションがとれる方法を試していき、そのコミュニケーションの範囲を広げていく方法を取ってくれるそうです。
もちろん私たちも協力していくわけですが、学校側と話しているうちに我が家の問題点も見えてきました。
「プレイデート(男女間のデートという意味ではなく、公園などで親同伴で一緒に遊ぶこと)をしたらどう?誕生日会を主催、もしくは参加するとかしている?」と学校側から聞かれたときに泣きそうになりました。
「正直に言いますが、プレイデートや誕生日会の招待などは断ってしまっています。これは私たち夫婦が悪いです。なぜなら、例えば公園で子どもたちを遊ばせて、親同士が話をするとなっているのをよく見かけますが、私たちは英語がままならないばかりではなく、スモールトークさえできません。気まずくなるし、もう私たちにとっては拷問に近いような時間になるのです」
そうでした。
私たち夫婦も決してコミュニケーション能力が高いわけではありませんでした。コロナになって人に会わなくなったことが気が楽に思えるほど、私たちは気を遣いすぎるあまり人付き合いが好きではなかったのです。
妻なんて自分も場面緘黙症なのではないかと思い始めています。(ただ英語が話せないからかもしれませんが)
彼女は家族にはとても優しく饒舌ですが、もはやウィニペグにいる日本人の人にさえ会いたくなくなっているようです。
このような夫婦だから彼のコミュニケーション能力が向上するか心配になります。
その点、娘は英語も堪能でコミュニケーション能力が家では一番高いです。でも彼女も気を遣いやすいし、不安に敏感といいますか緊張しやすい性格で、注目を浴びることを極端に嫌がります。
やはり、家族だけではダメで、学校に任せるだけはもちろんダメですから、これからはお互い情報を共有したり、ゆるやかなステップを勧めたりして誠賢の成長を見守っていくということになって会議室での話し合いが終わりました。
まず、最初のステップとしては【誠賢が「自分が場面緘黙症だ」ということを理解すること】。
カウンセラーの先生が「この動画を彼と一緒に観た時の反応や感想を共有してね」とユーチューブのある動画を勧めてもらいました。それに合わせて日本語の動画でも「場面緘黙症を知ろう」というような子供と一緒に観られる動画を用意して、この3連休のうちに誠賢と一緒に観たいと思っています。(誠賢が傷つかないようにするアプローチを心がけます)
誠賢の中学校の新しい先生。
誠賢に対してアグレッシブ(お節介や世話好き)かなと苦手意識を持っていましたが、彼女のメールのおかげで全貌が見えて、次なるステップへと進めることになり、心から感謝しています。
私も妻も反省や自分を責めすぎな傾向があったけれど、このようにブログに書くことによって心が整理されていって、今では【来るべきして来たターニングポイント】だと思うようになっています。
もし、同じように海外移住したご家族でお子さんが場面緘黙症(Selective Mutism)かもとなったら、このブログが少しでもお役に立てば嬉しいです。
これからも、子の成長もそうですが、親としても一緒に成長し続けていかなければと思っています。
それでは、また。
初めまして。
似たような状況だったので思わずコメントしてしまいました。
息子12歳も場面緘黙です。6歳から海外で暮らしているものの友達と関わることが一切ないので英会話ができません。
プレイデートを試みた時期もありましたが、楽しくなさそうで何年も前に諦めました。
同じくコロナの時期が心地良く感じていました笑
私も元々緘黙だったので、息子が幼稚園のころから場面緘黙だとは気付いていたんですが、カウンセラーに数回行ったきり、対処できることがなくお手上げ状態です。自分は高校くらいから緊張感が減り、人ともだいぶ話せるようになったので成長すればどうにかなるかも、という淡い期待もあります。ただ男女の差があるのでなんとも…
家庭内では日本語なので日本語は流暢なのに書くことはできず、英語のエッセイはしっかり書いてるのに英会話はできないと言うアンバランスさです。
うちは日本に帰ることも考えています。今なら漢字を頑張ればまだ追いつけるかも…と。
ただ本人は少人数で小規模の校舎の方が安心するとのことで、日本にはそのような学校が見つけられないんです。
緘黙で第二言語は無理だったのか…吐きそうになりながらいつも悩んでいます。
そんな時にこちらのブログを発見し、初めて同じ状況にいらっしゃる方がおられてびっくりしました。
お子さんへの今後のアプローチが気になります。
進展がありましたらぜひ教えてください!
りえさんへ
コメントありがとうございます。まさに似ていますね。
学校のほうからサポートが必要な生徒に認定してもらうために書類を書いて提出しました。
それから特になにか目立ったサポートがあるわけではないのですが、子どもは以前より過ごしやすくなった模様です(今度ブログで詳しく書きますね)
緘黙の子がどちらの社会のほうが生きやすいのかこれからも子どもと一緒に考えていきたいと思っています。