場面緘黙症の息子への学校側のサポート実例やその感想。
前回のブログ記事では、来月14歳になる娘の進路について書きましたが、今回は12歳の息子について書こうと思います。
よく聞くのは「女の子より、男の子のほうが大変」という言葉。まさに今、実感しています。
我が家の場合、
・生まれてくる時から、へその緒が息子の首に絡まってしまって大変でした。
・臍帯ヘルニアで1歳の時に入院と手術。
・2歳の間のみですが夜驚症(やきょうしょう)で激しい夜泣きや夢遊病を発症し、
・チック症(音声チック・運動チックとも)が6歳から10歳まで続き、
・利き目ばかり使っていたことで、弱視と斜視になり医療用メガネで矯正中、
・『場面緘黙症(Selective Mutism)』という家では話せるのに学校では話せないなど場面によって緊張や不安で緘黙してしまうという不安障害が今現在あることは以前のブログにも詳しく書きました。
今回はその場面緘黙症に対するカナダの学校側からのサポートについての実例を書こうと思います。
2024年に息子が中学校に通うようになり、新しい担任の先生から「彼が話さないことで授業が止まったり、クラスメートとチームワークができなくなったりする」ことをメールで知らされて、学校では先生と筆談しかできない状態だったこともその時に知りました。
それから学区内の心理カウンセラーとリソースティーチャーとの面談を通じて、これからのサポートについて話したというブログも記事の一部で書きました。
やがて息子が自分で「僕は場面緘黙症なのだ(僕だけじゃなく約500人に一人はいるのか)」と気づいたのが大きなステップでして、日本で製作された場面緘黙症のドキュメンタリー番組をユーチューブで一緒に観たこと、特に「話そうとしても喉がグッと詰まるような感じで話せなくなる」というナレーションに対して「僕もそうなんだよ」と共感したことがサポートを受ける大きな要因になりました。(ちなみに学校側からのサポートは強制ではなく、病院を通じてのサポートを選ぶ人もいるようです)
さて、そのサポートとはいったい何なのでしょうか?
学区の教育委員会から送られた「どのようなサポートが必要?」というような書類を記入し提出してから2か月くらい放っておかれたから不安に思っていましたが、2025年2月から学区の心理カウンセラーさん(以下、アン先生)が毎週、家にきてくれています。
はじめのころは「学校で話し合い、しかも学校が終わる16時までに」ということだったのですが、私たち夫婦は16時半に仕事から帰ってくるため会うことができないことを伝えたところ、16時半から我が家で1時間から1時間半、先生と話すことになったのです。感謝しかありません。
2月4日の第一週目。
我が家はみんな緊張してアン先生を待ちます。息子は初顔合わせとなります。
テーブルには私と妻、息子とアン先生の4人。
ざっくばらんに自己紹介が始まり、和やかなムードを作ろうとしても息子はアン先生の顔を見ず、先生に対して全く言葉を発しません。
私が英語で息子に質問をしても小さな声で日本語で返事をするといった感じです。
先生から場面緘黙症について説明があり、先生自身もいままで5,6人の場面緘黙症の生徒と接してきているとのこと。
いつからなのか、何か思い当たることがあるのかなど一通り息子の症状の来歴や症状の範囲を私が日本語や英語で息子に聞きながら、アン先生と共有していきます。
「友達は誰とだったら話せる?話すのは返事だけ?それとも話しかける?」
「日本語学校でも結構寡黙だったけど日本語環境と英語環境との違いはどう?」
「この居心地の悪さは5がマックスだとしたら今どのくらい?」
息子に対して尋問するような重たい雰囲気になってしまい反省です。
雰囲気を変えるために娘に参加してもらいました。
するとどうでしょう……。
場が急に和やかといいますか、フレンドリーな空気になったのです。
アン先生が最後に質問をします。
「ご家族のなかで誰が一番話しやすい?」
私たちに緊張が流れる番ですw。
息子は悩みはじめるとすぐ娘がツッコミをいれて、
「そこは私(お姉ちゃん)っていうておき~や~」と変な関西弁を話して笑わせていましたが、
「みんな話しやすいよ」と彼はつぶやいてくれました。(本当に良い子!)
今回で明らかになったのは、現在の担任の先生と息子が合わないということ。
ちょっとアグレッシブな女性の先生で「私なら彼の場面緘黙が治せるから」と思ってしまっているかのようなのです。息子に対して話すようプレッシャーをかけすぎたことで信頼関係がなくなっていたのでした。
それからのアン先生の行動は早かったです。学校の担任の先生に連絡してくれたのでした。
翌日から担任の先生の息子に対する接し方が変わりました。もっと尊重してくれるようになったのです。Yes、No質問やサムズアップ、ダウン(親指でグッドかバッドかのサイン)も織り交ぜながらプレッシャーを掛けなくなったようです。
2月の第二週目も同じ時間にアン先生がきてくださり、
「カードゲームでもみんなでしましょうか?UNO(以下、ウノ)なんてどうかしら?」
我が家4人とアン先生の5人で(地方ルールを確認したのち)ウノを楽しみます。
ウノは手持ちの手札を一番早くなくせばその人が勝ちになりますが、メインのルールとして最後の1枚の手札となったときに「ウノ!」と宣言しないといけません。(私たちの知るルールでは「ウノ!」と言わない場合2枚プラスされるペナルティがあります)
場面緘黙症の息子がアン先生の前で「ウノ!」って言えるのでしょうか?
勝負の行方よりもそちらが気になって仕方がありません。
そして、その時がやってきました。(皆、一瞬シーンとするんですよ。猫たちでさえ鳴かなくなったw)
「う、ウノ」
息子は小さな声でウノって言ってくれましたよ。この日、先生の前で話した最初の言葉です。
この大切なステップを踏めたことからアン先生は次の提案をします。
「それじゃ、自分が場に出すカードの色と番号を言っていきましょう。例えばこのカードの場合、グリーン・ファイブとね」
なるほど。言葉を発する範囲を増やしていくとはこのようなことなのかと感心してしまいましたが、息子にしてみれば「なんて面倒くさいルールなんだ」と思っていたことでしょう。
それでも息子は頑張って「ブルー・ナイン」など色と番号を小声で言いながら場にカードを出していましたよ。
息子が言えていることを娘が満足そうにうなずいているのがいかにも優しいお姉さん(というより親みたい)で二人の仲の良さが伝わってきました。
このウノのようなゲームでアイスブレイク(緊張の緩和)をするという方法は次の第3週目、4週目にも行われました。
しかも第3週目から、「この居心地の良い人数を減らしたらどうなるか気になるわ」とアン先生は息子に誰に残ってほしいか提案して、結局私と妻はミーティングには参加しなくなりました。
娘と息子とアン先生の楽しそうな会話がベースメントまで聞こえてきて安心します。
息子が集めているシーグラス(湖畔で拾った擦りガラスの破片)を先生に披露する機会があったのですが、さすがに娘のサポートがないとできなかったようです。第4週目には本を一緒に読むというのにも先生は挑戦していました(が、ほとんど読めず)。
息子は、「やっぱり声を出させようとするのがプレッシャーになる」とか「もういい加減来てほしくない」などとミーティングの後にぼやいていましたが、アン先生との信頼関係は着々に築いていけているのだと思います。なぜなら第4週目には小さい声ながらも英語で先生の質問に答えていて「今日はまあまあ楽しかったかな」と言っていたからです。
息子はちょうど声変わりの影響か、たまに声がかすれたり、裏返ったりすることが気になって余計話さなくなっている時期で、しかも反抗期も始まって不機嫌なことが多くなりデリケートな時期です。このような難しい年齢でアン先生のようなプロにサポートしていただくのは本当にありがたいことです。
これらプロのサポートとは何かに似ていると思ったら、フィットネスジムでの筋トレのパーソナルトレーニングに近いのではないかと感じました。
例えば、声が出せる雰囲気や環境の範囲を広げるというのは、筋トレに必要な負荷や回数、筋肉の可動域などの範囲を広げるというのに似ています。両方ともプロがいたほうが安全ですし、効果が出やすいのです。そして、信頼関係が必要なことも似ています。
学校の担任の先生はセレクティブ・ミューティズム(場面緘黙症)という言葉や現象は知っていたとしても、どのように接したらよいのか知らなくて、例えるならば「食物アレルギーなんて、少しずつ食べさせていけば治るわよ」などと言ってしまうような人だったのかもしれませんね。
そもそも場面緘黙症自体があまり知られていないため、いまだに親のしつけ方や過干渉が原因だとか、トラウマがあるのでは? ただ極度の人見知りなんじゃない?などと思われがちです。(場面緘黙症の原因は、現時点においては研究段階であり、よく分かっていないのだそうです。詳しいことは以前のブログに書いています)
そのままにしておいてよいことではなく、適切なサポートが必要だということも私も昨年知ったばかりです。
そのサポートとはどのようなものなのかを、今回のブログで場面緘黙のお子さんのいる他の方々にも何か共有できればとカナダ・マニトバ州ウィニペグでの一つの事例を書いてみました。
まだサポートは続いていますが、これからも家族、先生と協力しながら息子の場面緘黙症と向き合っていきたいと思っています。
3月も引き続きあなたにとって素敵な月になりますように。
それでは、また。