人それぞれ『生きている時間のスピード』が違うことを尊重できる社会
Winnipeg industrial skills training centerという職業訓練所(以下、トレーニングセンター)に通い始めて約3か月が経ちました。
ファブリケーション(製造・組立)とウェルディング(溶接)を同期約30人でチームをわけ、交代で勉強&実技を習っています。6か月が期限の訓練です。
私たちの目標は知識や技術を身に着けて専門職を得ること。
どこかの会社(工場)に就職した時点で卒業となります。
5か月を過ぎたあたりから本格的な職探しが各自始まると聞いていましたが、先週、もう就職できた強者がいました。
「え、ここに通い始めて3か月になる前に卒業!すごいな」
と、みんなに祝福されて翌週から就職先の工場勤めになったわけです。
それからというもの、残っていたメンバーのやる気というか、考え方が変わりました。
「そうか、全部を教わる前、経験を5か月積む前でも、就活しちゃっていいんだ」
「その会社の入社試験の実技で上手くできれば受かるわけでしょ。俺もある程度できるようになったから求人出している会社にアプライしてみようかな」
急に求人募集のサイトを見だして勇み足になる人が増えました。
一方で、
「もっと経験を積んで、資格などをとってから就活したほうが確実なんじゃない?」
「せっかく失業保険のお金をもらいながら無料で通わせてもらっているんだからもったいないよ」
という人たちもいます。(私は後者です)
ちなみに、就職がすぐに決まった男性は20歳代後半のアジア人。
失業保険はもらえておらず、しかも永住権のプロセスの途中ですから、すぐにでも就職先が必要でした。
そのような状況、その人が置かれている境遇、バックグラウンドを知らないと、
「あいつ、手先が器用だったしな。ここで群れているのが嫌そうだったし……」
と、勝手に判断したり、置いてけぼりを感じたりするだけになってしまうかもしれません。
もちろん、その解釈は間違っていないかもですし、別に他の人の背景まで詳しく知る必要もないことでしょう。
しかし、それらを知ったほうが相手の見方が変わるだけでなく、自分の『世界への見方』が変わってくるように感じるのです。
今通っているトレーニングセンターには、難民申請をして永住権をもらえてこの職業訓練所に通っている人もいれば、溶接を使ったアートを作りたいからと趣味の延長上で通っている人もいます。
(正方形のプレート6枚とパイプ片を溶接してこんな形の作品を作ってみんなで出来栄えをコンテストしています。この成果物をもって溶接の会社に面接に行くのです)
また、屋根の修繕をしていたけどもっとスキルアップして溶接までできる職人になりたいから休職して通っている人や、私のようにレイオフになってもっと着実に手に職がつけられるようにと通っている人もいて、本当に人それぞれ……。
ゆっくりしている人もいれば、チャキチャキとやることを見つけて動いている人もいる。
なんだか、生きている時間のスピードがみんな違うんですよ。(←当たり前ですが……まぁ聞いてやってください)
よく聞く動物の話で、ハツカネズミは脈拍一回に0.1秒ですが、ゾウは3秒の心周期です。呼吸のペースや食事の消化、排泄までの所要時間が違うわけでして、生活速度や寿命まで違ってきます。これはどちらが良いとか悪いとかの問題ではなく、そのような個体であり、生き方があるのだとその違いが理解できます。
生きてきた時間や生きてきた社会が違うから生きている時間のスピードが違うのはある意味当たり前なのですが、この違いにカナダに来てから敏感になったというか、寛容になったといいますか、カナダの多民族らしさや海外移住らしさを感じるのです。
私はカナダでカーラジオから時報が流れてきたこと、例えば「プ、プ、プ、ポーン!八時になりました」なんて音声を聞いたことがありません。
このような時報は国内で時差がなければ問題ないでしょうけれど、陸路で州を越えることができて、隣州とは一時間の時差が変わってしまう国だと特に州境の人は混乱しそうです。
時報に代表されるように日本の場合、社会に流れている時間に自分の時間を合わせなければならなくなる状況が多いように感じます。
例えば、何歳までに結婚して、昔は嫁入りした女性は婚家のしきたりに合わせていたなど、社会で暗黙裡に決められた時間や文化に合わせるように教育されてきたところが多いように思うのです。
食べ放題のバイキングに行くと、カナダでは自分が食べたいものが置いてあるところまで一直線にいってその料理をもらいに行くのに対して、日本ではお皿をもらうところから並び始めて食べたい料理をとるまでずっと前の人に並んだまま……。
その真面目さを私は好きですが『自分の時間を列という社会(待ち時間)に合わせなければならない』という現象の頻度がカナダより高いと感じるのです。
並ばない人には今でもイラっときますが、最近、「生きてきた社会や生きている時間が自分とは違うしな」という前提を持つことで、割り切りやすくなり、相手や自分の見方が変わって、自分がより生きやすくなるのではないかと思うようになってきました。
トレーニングセンター内でイスラム教の人たちとランチを共にすることが多くなって気づくのですが、彼らの戒律に対する向き合い方や一日5回のお祈りなど、彼らを作り上げてきたものを知ると彼らの見方が変わります。
(どうしてこいつはこんなに生意気で偉そうなんだろう)と苦手意識を持っていたら、他の同期が「あいつのところは家(戒律)が厳しく、男らしさや一家の大黒柱的なことを小さいころから求められていたからな~」と言っていたのを聞くとなんだか納得してしまうというか、尊重したくなってしまったから不思議です。
また、遅刻や休みが多い不真面目そうな同期から「子どもが5人いて……」なんて聞いてしまうと(そりゃ大変だ。あの時も子どもたちの誰かが具合悪かったんだ)という思考が生まれて、心の中で彼を罰する必要がなくなりました。
そう、彼の怠惰さに勝手にイラついて、無意識にも相手の時間を自分の時間に合わせようとしていたのでした(反省)。
生きている時間のスピードは人それぞれで違うということは頭の中ではわかっていても、心のどこかで理解できていなかったのです。
「比べない」
「人は人。自分は自分」
って言葉はありふれていますが、どれほど実感できていたのでしょう……。
日本では無意識にもすぐに優劣を比べたがるし、自分の中の『普通』から離れたものを排除したがる傾向があったような気がしています。
優劣や自分の都合で相手を見るのではなく、相手の生きてきた時間、生きている時間のスピードを見ることで相手と自分との違いを尊重でき、より心が穏やかにいられるような気がしてきています。
専門知識や技術を得るのと同じくらい、このトレーニングセンターでは得るものが大きいです。
そして、3か月たった今、私たち同期はとても仲良くなって、同じ目標を目指す良い仲間となっています。
(みんな、ドリルや断裁の作業を何度もこなして、だいぶ工業用機械に慣れてきましたよ)
もちろん良いことばかりではなく、思うようにいかなく落ち込み、将来への不安とも戦っていますが、海外移住して本当に良かったと思える『ほろ苦くも貴重な体験ができ、生きている実感に溢れた日々』を過ごせています。感謝しかありません。
来月にはCWB(Canadian Welding Bureau)の資格テスト、その後は私は就職活動を本格的に始めるつもりです。また近況が変わり次第、私の進退についてや就職においての気づきについてこのブログで書いていけたらと思っています。
それでは、また。