娘のプレゼン授業で感じたこと。伝わることの大切さ。他、教育について。

コロナ感染者数がマニトバ州でも多くなってきています。

子ども達が通う学校でも生徒が感染したという報告を受けました。

濃厚接触者と思われる生徒には個別に「隔離と検査のお願いメール」が届くそうで、それ以外の生徒は症状がでない限りはいつも通りの授業となるようです。

リモートラーニング(遠隔授業)が希望者には近々再開されるそうで、学校の運営者・先生、そして生徒も落ち着かない日々が続くことでしょう。

私たち家族は昨年約一年間リモートラーニングを選びましたが、今年の3月から学校に通いはじめて、子ども達は毎日イキイキとしているように感じます。先生や友達と接することは良き化学反応があるようなのです。

 

最近、娘のクラス(4年生)ではプレゼンテーションの授業があって、みんなの前に立って『研究レポート』『演技・役者』『手品披露』『クッキング』など自分で選んだ項目でプレゼンします。

うちの子はまずクッキングを選んで餃子作りのレシピを発表し、次の週では手品披露をして好評を博したそうです。

子どものプレゼンの練習に付き合っていて気づくことは、言語は単語や文法ももちろん大切だけど、伝えるという意味で文章の構成や順序のほうが重要視されるのではと思うのです。

例えば、カップ焼きそばを作る順序において『どの段階でお湯を捨てるか』を間違えたら台無しになりかねません。

手品も「この段取りを間違えたらマジックとして致命的になるポイント」があり、ちょっとした仕草でタネがばれてしまうこともあります。

そして、構成においては、例えば、今回娘の手品は3つ用意していて、最初はパッとしない地味な手品(輪ゴムが指内で移動する)、次は親指が取れるように見える手品で「おお~」と言われ、最後に、あらかじめオレンジに穴をあけておいて右手の親指だけ突っ込み、さらに両手でオレンジを包み、手を開いた時点で浮いているように見せる手品で「どうやっているの!?すごい」と大盛り上がりにするという流れを作っておいたため成功したそうです。

これらの手品は英語を話さなくても通じるかもしれません。

伝える・伝わるということが重要なのでしょう。

ウケがよいと演者である子ども達は自信につながります。また、観客である生徒たちはそのことを幼いころから実感しているからこそ、演者に対して反応が良くなっていくという好循環を生んでいるのです。(嘲笑や批判が極端に少ない)

 

SNSで知った話ですが、中国からの帰国子女が日本の学校で自己紹介をする際に、先生から「中国語が話せるなら中国語でも自己紹介してみてよ」と言われて中国語を話した途端、クラス中に大爆笑されて不快に思ったという話がありました。一生懸命習得した第二言語で、正しい発音と文法の中国語なのにもかかわらず嘲笑されてしまったのはなぜなのでしょうか?(ほかの欧米言語だったらどうだったのでしょうか?)

異文化や言語の問題以前に(子どもの時期には)自信をもってプレゼンすること自体を揶揄する傾向があるようにも思います。

日本では『みんなと一緒であること』や『普通』をもてはやす『同調圧力』があるからなのかもしれません。

私が学生の時に英語の教科書を声を出して読む際、いかにも日本人が読む英語発音で読むことを暗黙裡に求めらていたような気がします。

いや、私の学生時代というと30年以上たっているわけですから、教育現場も変わっているかとは思います。いずれ公立の先生や親御さんにお聞きしたいのですが、もし日本の学校の英語授業にて、英語圏のネイティブスピーカー並みの発音で教科書を読んだら、誰からもからかわれず、褒められたり、推奨されたりしているのでしょうか?

英語を学ぶことや、異文化でコミュニケーションすることを難しくしているのは、言語の難しさだけではなく『表現の仕方や構成・伝える順序を初等教育で学ばなかったこと』、さらに『からかわない、からかわれない環境ではなかったこと』が原因だったのではないかと、娘の学校の様子を聞くと考えさせられるのでした。

幼稚園の時期からShow & Tellという発表の機会を与えられ、自分と違う意見やプレゼン方法を知ることは(もしくは、まだプレゼンができない子が他にもいるということを知ることも)自分の中の多様性の幅を広げるのに役立っているのだと思います。

また、多様性といえば、娘からクラスメイトの話を聞いていると、

「先日からラマダン(断食期)に入ったから、○○ちゃん(ムスリム)はランチを食べないでずっとしゃべっているよ。あんなにしゃべっていてもっとお腹がすいちゃわないのかな~」とか、

「△△ちゃん(女の子)は、髪の毛を短く切ってきたと思ったら「今日からトミー(男の子風な名前)って呼んでね」と言っていたよ(カミングアウトか?)」など

それこそ多様性・多文化共生が当たり前の世界にすでに生きていることを実感します。

自分のまわりの普通だったことが通用しない世界、普通だったことが良い意味で壊されていくというのは、カナダで教育を受けることの良い側面だと思います。(カナダ移民の醍醐味だとも思う)

 

残念ながら新型コロナウィルスのパンデミックによって、以前では普通だった世界が一部通用しなくなってしまいました。多様性や多文化共生だったころより、今や分断や閉じていく世界になってきているようにも感じます。

しかし、分断や自分の殻に閉じていくという内に向かっていくような力が働いた後は、歴史的に必ずと言っていいほど外に向かう反動の力が生まれていきます。(産業革命や通信技術など)

子どもが黙々と手品の練習をしていたら世紀の手品のネタを作れて誰かに見てもらいたくなるかのように、

それらは文化や言語を超え、伝わっていくべくして伝わっていくことでしょう。

その伝わりやすさを今の子ども達が作り上げてくれているようにも感じるのです。(SNSやユーチューブなどネットを通じた社会実験を経て、伝える・伝わるための方法が進化論のごとく取捨選択されていくという意味も含む)

もちろん子ども達ばかりに期待しているのではなく、私たちもできることを何かしなければなりません。

ちなみに私は、最期まで心豊かにやすらかに自分らしく死んでいく姿を次世代にみせること、同時に伝えたい言葉を遺すことで貢献できるのではないかと思いたいのです。

そのため、私は毎日家族で楽しんで過ごすこと、感謝を表すこと、そしてそれらをエンディングノートにまとめて遺すこと(パスワードや口座解約等の手続きまで書いてあります)を心がけています。

すぐに私の人生が最期になる予定はありませんが、いつ何があるかわからない世界だからこそ今日、明日を精一杯生き、とりあえず、次回の子どものプレゼンの練習を聞くのを楽しみにしています。

発表するだけを目的にするのではなく、相手に伝わるということ、場を楽しむことを次回も実感してもらえたらと思っています。

それでは、また。

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